本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日・お題「さくらんぼ」

勝負する前から負けるアメリカンチェリーの爪をしてるあの娘に

 私は、体質的にマニキュアが苦手で、手の爪にマニキュアを塗ると爪が呼吸できない感じになって苦しいので、手には何もしていない。ピアノを習っていた頃の習慣が抜けなくて、爪も深爪ぎみに切らないと気持ち悪いので、美しさとはかけ離れた手をしている。
 だから、華奢で綺麗な手の人が爪を伸ばして1本1本の指に可愛いネイルアートをしたりしているのを見るといいなあとうっとり眺めてしまうし、仮に、私の好きな人が私には振り向いてくれないのに、そういう素敵な爪の人を選んだら激しく落ち込むだろうなと思う。
 そういえば、私の母には5人兄がいるんだけど、その5番目の兄がよく息子たちに
「女の子はまず手を見ろ。マニキュアを塗った爪の長い子じゃなくて、手の荒れた女の子を大切にしなさい。そういう子は働き者のいい嫁さんになってくれるぞ」
と言っていたのだけど、私は、爪の先までおしゃれをした綺麗な手でもなければ、働き者でもないので、誰にも選ばれることなく未だに独り身なのだろうなという気がしている。

うたの日・お題「同」

真っ先に養護教諭へ見せにゆく以下同文の卒業証書

 小学校5年生の終わりから腰椎椎間板ヘルニアの持病のある私は、生理中前から生理中にかけての腰痛も尋常ではなく、生理前になると嘔吐を繰り返したりもしたし、貧血でしょっちゅう倒れるし、とにかく毎月学校を休んでいた。
 高校の時がいちばん酷くて、3年間で欠席だけで105日もあったし、遅刻早退も頻繁だった。高校2年生の時は出席日数が足りずに春休みに補習を受けて、なんとか進級できた。 
 だから、保健室でもよく休ませてもらったし、保健室にいる先生には、担任の先生以上にお世話になったかもしれない。
 卒業式を終えて、母と真っ先にお礼に向かったのが保健室だった。先生はすごく喜んでくださった。
 普通の健康な子たちのような学校生活は送れなかったけれど、私は、気持ちだけは前向きだったし、そうさせてくれているのは、母だったり、保健室の先生だったりした。
 先生、まだお元気でいらっしゃるだろうか。

うたの日・お題「菜の花」

口答えした翌日の弁当に母が咲かせた菜の花畑

 私が料理を始めたのは小学校の4年生くらいの時だっただろうか。
 平日は学校の給食があるのだけど、土曜日は半日で授業が終わって帰宅するから、母がお昼ごはんを用意してから仕事にゆくこともあれば、お金が置いてあることもあったんだけど、私が火を使えるようになると、
「冷蔵庫のもので何か作って食べてね」
と置き手紙があることも多かった。
 でも、小学生の女の子が作れるものなんて、卵料理か野菜炒めかカレーくらいのものだから、たいてい、いちばん楽な卵料理、特に、プレーンオムレツを焼くことが多かったのだけど。 
 中学までは給食があったけど、高校はお弁当だったから、自分で作ることもあれば、母に作ってもらうこともよくあった。母は、よく、そぼろ弁当を作ってくれた。玉子そぼろの乗ったごはんは、菜の花畑のようで見た目も綺麗だし、美味しかった。
 母とは、ほとんど喧嘩になったことがない。父とは顔を合わせれば大喧嘩をする毎日だったけど。だから、この歌は、半分は実話で半分は虚構なのだ。

うたの日・お題「傷」

感傷を沈める海のない街の回転寿司にハマった人魚

 このお題を見た時に感傷で詠もうというのはすぐ決まって、上の句はすぐできた。
 私は、八王子に住んでいて、八王子は山はあるけど、宮崎にいた時みたいに海まで5分というわけにはゆかないから、いつも、息苦しさみたいなものはあって、海が無性に恋しくなることがあるのだ。今までも海を求める歌は何首か詠んできたけれど。
 下の句も、私自身のことを詠もうと思ったんだけど、私が感傷的になったって読者はたぶん面白くないから、人魚姫をモチーフにしようと考えた。
 王子に見向きもされない人魚姫がやけ食いをするのはどこだろう?どこだったら面白いだろう?と思った時、ひらめいたのが回転寿司だった。
 ところが、評に、人魚が魚を食べるという設定は既視感があるとも書かれたし、『人魚のごめんねごはん』という漫画があることを教えてくださった方がふたりもいて、反省。いくら、知らなかったとはいえ類想は類想だし、人魚 寿司でGoogle検索くらいしておくべきだったなと思った。
 『人魚のごめんねごはん』の作者にも、読者にも不快な思いをさせる可能性のある歌だ。本当に申し訳ありませんでした。

うたの日・お題「為」

被災者の為の募金が偽善なら死ぬまでずっと偽善者でいい

 困ってる人のために募金をしたり、ボランティアをしたりする人がいると、必ずといっていいほどその人を偽善者呼ばわりする人たちがいる。
 でも、そんな人たちが、偽善者と呼ばれる人よりも、誰かや社会のために貢献してるのをまだ見たことがない。
 やらない善よりやる偽善。偽善も100回やれば善になるとは、誰かが言っていた言葉だけど、本当にその通りだと思う。

うたの日・お題「込」

駒込ツツジが燃える坂道を白髪の君と歩きたかった

 駒込は、20代の頃に勤務していた会社の最寄り駅だ。
 私が大学を中退してすぐに勤めた新宿の派遣会社の取引先が、駒込にあったこの会社だった。新宿の派遣会社は、駒込の会社の依頼で、イオンやビックカメラヨドバシカメラなどの店頭で浄水器を売る仕事を私たちスタッフにさせた。すると、面白いように浄水器が売れたのと、私以外のスタッフの子たちがあまりやる気がなかったのとで、ある日、派遣会社に
「うちは小島さんとしか仕事はしたくない」
という要望があったのだそうだ。
 その時、この新宿の派遣会社は、最高でも日給8500円が上限だったんだけど、特別に私には9500円のお給料をくれたのだった。
 この浄水器を売る仕事の時に、マッサージ機を売りにきてるおばちゃんに
「貴女、今、いくらお給料もらってるの?」
と訊かれ
「日給9500円です」
と答えると、
「少ない!貴女は若くて元気がいいからもっと稼げる。うちにいらっしゃい!」
と声をかけてくださって、冷蔵庫を売る派遣会社に転職することになった。日給は13000円に上がった。
 ところが、冷蔵庫もよく売れたんだけど、私の冷蔵庫のメーカーと店舗との仕入れ値の交渉が決裂して、私のメーカーの冷蔵庫はその店では力を入れて売れないということになった。でも、店側に気に入っていただいてた私は、引き続き同じ店で浄水器を売らないか?と声をかけていただいた。その時に、浄水器なら以前この会社の依頼で売ってたことがある、と伝えたのが、駒込の会社なのである。
 駒込の会社の、私としか仕事をしたくないとまで言ってくれた部長(女性)は、すごく喜んでくださって、私の待遇は、6時間勤務で15000円にまでしていただけた。後に、体調不良で浄水器を売る仕事を辞めた後も、この会社では営業事務としてお世話になった。
 駒込は、六義園もあったりするし、5月の駅前はツツジがたくさん咲き誇っていた。
 そんな大切な場所、駒込の景色を詠み込んで、私らしい歌になったと思う。  

うたの日・お題「母」

できるだけ欠かさず母と電話して脳裏に刻む健やかな声

 どんなに大好きな人のことも、大切な人のことも、忘れる時は声から先に忘れていって思い出せなくなってしまう。
 だから、私は、ほぼ毎日宮崎の母と電話で話す。
 今は健康な母だけど、いつまで元気な声を聴けるのかわからないから、母との電話の時間をとても大事にしている。