うたの日・お題「戦後」
戦争を語らなかった祖父は逝き「火垂るの墓」で知った悲惨さ
うたの日1500日目の記念回だった。
祖父は、私が5歳の時に死んだので、祖父と戦争について語ったことはなかった。娘である母ともそうだったから、語りたくなかったのだろう。
祖母の話によれば、戦後中国から帰ってきた祖父は、涙を流し、祖母に、
「俺は中国でお前にも子供たちにも顔向けできない酷いことをしてきた」
と離婚を申し出たのだそうだ。その内容は、あまりに重いことだし、祖父が妻である祖母だけに打ち明けた話なので、ここには書かないけれど。
祖母は、そんな祖父のことも許し、祖父が死ぬまで添い遂げ、死後もずっと未亡人だった。