本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

「逢いたい」と君が言うなら嬉しいし他の人ならセクハラになる

 

 今、Twitterの短歌クラスタのTLが揺れているけれども、当事者以外の人が口を出すと問題が複雑になってゆく気がするし、私は4月以降はツイートはしないと決めて現在に至るし、Twitterでは静観している。

 でも、私が個人的に考えるセクハラの線引きは、冒頭の歌の通りで、自分が恋愛感情を抱く相手からなら言われて嬉しいことも、それ以外の人に言われたらセクハラだと思ってしまうなあ……と。

 特に、文章にした場合、「あいたい」を「会いたい」ではなく「逢いたい」と書くのはかなり注意が必要だと思う。私は、恋愛対象外の人に対しては絶対に「逢いたい」は使わないようにしている。

 でも、セクハラとフレンドリーの境界線ってかなり曖昧なものだなとも思っていて。以前、Mr.Childrenの「Over」の歌詞の中の「顔のわりに小さな胸」という表現は、桜井さんが歌うから許されてるのであって、他の人ならセクハラとして大問題になるのではないかと昔から考えているとこのブログにも書いた(ちなみに、私は、桜井さんが歌っててもこの歌詞は不快)。

 だけど、ここで省みるのは自分自身のことなのだけど、私が片想いしている相手に嫌がられているのにもかかわらず、彼への想いを短歌にするのはセクハラになるのだろうか?ということ。もちろん、彼本人に歌を送りつけるようなことはしていないし、彼も嫌なら見なければいいのではないかとも思うのだけど。でも、もし、彼から、私のやっていることはセクハラだと訴えられたら、私は不利になってしまうのかもしれない。

 セクハラと同じくストーカーの基準も難しいものがある。松任谷由実さんプロデュースの石川ひとみさんの大ヒット曲「まちぶせ」なんて、昔は純愛だと言われたし、可愛い石川ひとみさんが歌うから許されていたけど、あの歌詞と同じことを今私がやったら、間違いなくストーカー行為として好きな人に訴えられるだろうしなあ……

 両想い以外の恋愛は許されない時代になったのかもしれない。