本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

軽蔑の味しかしないパフェなんてひとりだったら食べなくて済む

 

 今日、Twitterで私の筆名に因縁をつけている人がいて、また思い出したくない最悪な歌会を思い出した。

 ちょうど去年の今頃だっただろうか。都内某所でパフェを食べながら開催した歌会があったのだけど、その席で、票を入れなかった歌についての意見を司会者に求められた私は

「私はこの歌が嫌いです。ネガティブな言葉ばかり3つも並べられて胸が苦しくなったので、票は入れませんでした」

と言ったら、その歌に票を入れていた人物が

「そこまで心を動かされるということは、それが負の感情であっても、この歌には技術がある優れた歌ということではないのか?票を入れないのは不誠実だ」

と発言した。

 私は、歌の好き嫌いで投票をするのは不誠実だという決めつけが納得できなかったし、優れた歌かどうかというのを短歌で収入を得ているわけでもない未熟な歌詠みの基準で判断することに疑問を持ったので、その後、それは本当に不誠実なことなのかどうかをTwitterで問いかけた。私の尊敬する人たちの多くは、「好きな歌を選べばいいんですよ」と言ってくれた。

 私に不誠実だというレッテルを貼った人は、その後も自分は歌歴が何年で、歌会というのは優れた歌を選ぶ場だというのが常識だという意見を押しつけてきた。それに頭にきた私は、それだけ歌歴が長いのに、うたの日ですら薔薇を私よりも獲得してないし優れた歌を詠んでいない人に言われても説得力がないと反論した。そして、私はいい歌を詠みたいとは思っているけれど、偉そうな評論家気取りの人にはなりたくないとも言った。

 それが発端となって起きたのが歌会こわい問題である。

 その時に対立した相手が、私の現在の筆名について文句を言い「反吐が出る」とまで書いていたのだけど、こちらとしては、その人の筆名に名字があることすら忘れてたし、その人を名字で呼ぶ人も見かけたことはないと思う。何よりも、私の筆名は自分で漢字を決めたのではなく好きな人が考えてくれたものだし、たまたま漢字が1文字被ったからといって、難癖をつけられる筋合いはない。この人が言ってることは、佐藤が加藤を気に入らないと言ってるようなものだ。

 でもまあ、そんなに不快なら、歌会がこわいと言ってた人たちに対して歌会に来るな、棲み分けろと言い放ったように、自分もうたの日には来なければいいんじゃないだろうか?と思うのだけど。そうすれば、視界に私の筆名が入ることも滅多にないだろうし。

 歌会についてはいろいろ思うところもあるのだが、歌会があまり好きではないという人たちが素敵な短歌をいっぱい詠んでいろいろな短歌賞にも入賞されてるのを見ていたり、自分も数回しか歌会には参加していないけれど公募の場で有名な歌人に何度か歌を採用していただいたりしてるので、いい歌を詠むのに必ずしも歌会への参加が必要というわけではないのではないかという気がしている。