今日の自由詠
「平成の向田邦子になります」と宣言をして辞めた大学
大学に5年も通った挙げ句、卒論の単位まで取ってたのに単位を取ってない必修の講義がいくつかあり中退をした私なのだが、何故中退するのかとゼミの助教授に訊かれて答えたのが、脚本家になりたいという理由だった。脚本家になるのに、自分が大学で勉強していることが役立つとは当時の私には思えず、一日も早く脚本家養成の専門学校に入りたいと考えていた。
すると、助教授は、
「貴女が目指す世界は、平凡な人生を歩んできた人にはおそらく成功は無理だろう。ドロップアウトした人の方がいいものが書けると思います」
と、中退に賛成してくださった。
中退はしたんだけど、すぐに働きながら専門学校に通おうと決めていたのだが、実家で父が倒れてしまってそれどころではなくなってしまったのと、当時、私がいちばん好きだった脚本家の野沢尚さんが急死されてしまったショックで、何も書けなくなった。
私は、学生時代に演劇や放送をやっていたというのもあるのだけど、中学3年生の時に出合った向田邦子さんの書かれる文章がとにかく好きで、いつしか、彼女のような脚本家になることが目標になっていた。野沢尚さんも向田邦子賞の受賞者のおひとりだった。
あれから、ずっと脚本は書けていないし、当時、40歳までに脚本家として成功しない時は諦めると決意していたのだが、何も書けないまま、もうすぐ30代が、そして、平成も終わろうとしている。
あの頃は、自分が短歌を詠むようになるなんて想像もしていなかった。
脚本はほとんどフィクションなのに対して、短歌は私の場合は9割くらい実話なので、同じ書くものでもぜんぜん性質が違うことを考えても、今、短歌を作っているのは不思議だ。
でも、私がこうして、自分の短歌についてのエピソードを書きたくなるのは、間違いなく、向田邦子さんのエッセイの影響だと思う。