ツイキャス歌会に出した歌
殺したい人などいない顔をして茶碗の裏で包丁を研ぐ
昨夜のツイキャス歌会、いろんなお歌が集まって本当に楽しかった。読み応えがあったなあ。10首をみんなで3時間かけて読んでゆくというなかなか濃い歌会だった。
そのトップバッターを飾らせていただいたのは光栄だった。たくさんの人が丁寧に読んでくださってありがたかった。
茶碗は茶碗でもどんぶり茶碗なのだけど、私の母が茶碗の裏で包丁を研ぐ人なので、思いついた歌である。
私は、物心ついた時からずっと酒乱の父に虐待されていたから、中学生くらいの時には、どうやって父を殺そうか毎日のように考えていた。実行はしなかったけれど。
だから、よく、自分の親を殺した子供のニュースが出ると、殺された被害者ではなく、殺した犯人の気持ちを考えてしまうのだ。この人は、親にどれだけ虐げられていたのだろうか?と。そして、私はたまたま運が良くて今のところ殺人者にはなってないけど、この犯人はもうひとりの私だ、と思う。きっかけさえあれば、いつ殺人者になったっておかしくない私が私の中にはいる。
その時、また、ふと、母のことが頭をよぎった。母にとっても、父は、酒乱であまり働かないろくでもない夫のはずなんだけど、母は愚痴や不満を一度も漏らしたことはないし、私たちの前では常に笑顔を絶やさなかった。母は、父を殺したいほど憎んだことはなかったのだろうか?と思ったのだった。
なので、この歌の主体のモデルは、私と母の両方なのだ。
茶碗の裏で包丁を研ぐという日常の行動の中に潜む殺意を感じとってもらえたなら嬉しい。ちなみに、私はセラミックの包丁研ぎ器を持っているので、茶碗の裏では包丁は研がない。