本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

創価学会と私 3

 生まれる前から創価学会に入信することが決められていた私には、乳幼児期から創価学会の会合に参加するのは普通のことだったし、宮崎平和会館という宮崎でいちばん大きな創価学会の会館で、毎月開催される本部幹部会とか、未来部向けの会合とか、高等部になると女子部という40歳までの独身女性が所属する部の会合とかに参加して、全国の会館で衛星中継される同時放送を観る機会がよくあった。

 数名の学会員による体験発表とか、各部の幹部の報告、会合の雰囲気を明るくするための合唱とか楽器の演奏があり、当時の会長の秋谷会長の挨拶があり、最後は池田大作名誉会長のスピーチという流れであることがほとんどだったのだが、私には、子供の頃から悩みがあった。

 それは、秋谷会長のお話までは大丈夫なのだが、池田先生のスピーチになると、睡魔が襲ってくることが多かったのだ。先生は、東京の大森生まれの江戸っ子で、滑舌があまり良くないというか、江戸っ子独特の訛りがあり、決して、聴きやすいスピーチではなかった。偉人の話とか、世界の名作の話とか、内容はすごくいいことをおっしゃってるはずなのに、私は、いつも、途中ですごく眠くなり、先生のスピーチの面白いところでみんなが一斉に笑ったり、先生の言われたことに対してみんなが大声で

「はい!」

と返事をしたりしているところで目が覚めて慌ててみんなに調子を合わせたりすることもしょっちゅうで、尊敬する池田先生のスピーチで眠くなるなんて、先生の弟子として失格だ……と、悩んでいた。

 でも、幸い、私の母はおおらかな人だったので、私が

「池田先生より秋谷会長のお話の方がアナウンサーみたいで聴きやすい」

なんてことを言っても叱られなかったし、よく、狂信的な婦人部が学会員に何か悪いことが起きた時に

「あなたは信心が足りないのよ」

などと心ないことを言って責めたりというようなことも一切なかったので、私は信仰を続けられたのかもしれなかった。

 それに、眠って聴き逃した先生のスピーチは、翌朝の聖教新聞で読めるので、そこまで深刻には悩んでなかったといえる。

 ところが、私たち創価大学27期生の入学式の時に事件は起きた。

 入学式は、創価大学の池田記念講堂というまるで古代ギリシャの建築物のようなお城のような大きなホールで開催された。母のお腹の中にいる時から声を聴き、ずっと写真や衛星中継で観てきた池田先生の姿をやっと拝見できる!という思いで、嬉しさもあったが、かなり緊張していた。だから、さすがに、私は、この日は眠くならなかった。が、何人か式の最中に居眠りをしていた新入生がいたらしく、池田先生は、スピーチの冒頭から不機嫌で怒っていらした。

創価大学には真剣な学生しかいらない。真剣な学生がたったひとりいればいい」

とおっしゃった。

 私は、入学式に先生の目の前で寝るなんて、なんて学生だ……と思いながらも、会合のたびに先生のスピーチで眠くなっていた私も彼らと同類だと思った。私は、先生が創立されたこの大学に来たけれど、果たして、先生が望まれるような、たったひとりになることはできるのだろうか?と、不安だらけだった。