本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

創価学会と私 14

 29歳で5年間お付き合いをした恋人と別れた私は、とにかくがむしゃらに働くことで失恋の傷を忘れようとした。

 平日の朝9時から15時まではコールセンターで働き、電車とバスで移動して17時から翌朝8時まで大学病院の救急受付で医療事務をし、土日は各地のスーパーでマネキンの仕事を7~8時間。大学病院ではなかなか仮眠も取れなかったから、眠るのは移動中だけで、ほとんど布団で寝ることはなかった。

 でも、そんな働き方で、身体を壊さないわけがなく、マネキンの登録だけを残して、もっと時給のいい某都市銀行の銀行のコールセンターに転職して、仕事の数を減らした。全国の銀行の支店宛にかかってきた電話を受信する総合案内的な仕事をする部署だった。

 そこで、私が対応したお客がすごく理不尽なクレームを言う人で、その乱暴な物言いや、声の調子が、私の父親そっくりだったのがいけなかった。一気に、フラッシュバックを起こし、幼児期から虐待されてた時の記憶の洪水に溺れてしまい、私は、仕事にゆけなくなった。正確には、外出できなくなった。30歳になる1ヶ月前のことだった。

 病院で、うつ病だと診断され、そこから6年間、私は、通院以外の外出が一切できずに、食品の買い物はすべてネットスーパー、母と主治医以外の人との会話は、メールか筆談という状態が続いた。

 最初は手紙をポストに入れに来たりしていた創価学会の女子部も、私が働いてないことを理由に聖教新聞の購読をやめると、もう、訪ねて来なくなった。そして、私は、創価学会とは関わらなくなった。