本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

創価学会と私 15

 今の私は、創価学会に籍はあるけど完全に未活動だし、私と連絡を取っている創価学会員は、活動家だけど活動を強制しない母と、私と同じく未活動の弟と、私と同じく創価大学出身だけど未活動になった後輩くらいだ。

 創価学会の名誉会長である池田大作先生は、間違いなく歴史に名を残す方であるとは思う。それは、世界各国のリーダーと、文化や思想や宗教などあらゆる壁を越えて、平和のために対話されてきたという事実は揺るがないからだ。日中国交回復も、歴史の表舞台では田中角栄総理と周恩来首相のおかげだと言われているけれど、裏で池田先生と周恩来首相の対談がなければ実現しなかった可能性があると思う。そのくらい、周恩来首相の池田先生への信頼は大きかったし、中国で池田先生の素晴らしさを知って入信したという日本人の芸術家もいるくらいである。

 だが、私は、今の創価学会という組織を全く信用していない。

 純粋に信仰をしている末端の学会員さんには罪はないと思うけれど、幹部のことが信じられない。

 子供の頃から、池田先生には数々の激励をしていただいてきたということはこのブログにも書いたけれど、それは、私が、地元の幹部に気に入られている活動家だったから、学会本部に良い報告が上がってただけだったのだなと気づいたのは、病気で未活動になってからだ。不幸な人も幸福になるというのが宗教の本来の在り方だと思うし、私が創価学会の幹部であれば、誰よりも先に、病気で苦しんでいる会員を気にかけて励ますと思うし、池田先生にもご報告すると思うのだけど、うつ病になって10年、池田先生からの激励は一切ない。

 創価学会員の数を増やす活動に貢献できない私は、創価学会から見捨てられたのだなと思う。

 最近は、池田先生もぜんぜん会合に出られないし、死亡説まで流している週刊誌もあったりするくらいだけど、個人的には、いくら創価学会が私が信じていた頃の創価学会ではなくなってしまったとはいっても、池田先生が死亡してしまったことを隠して生きていることにするというような大それたことはしないとは思う。ただ、誰よりも平和のために行動されてきた池田先生が、今の公明党に異義を唱えないのは明らかにおかしいと思うので、もしかすると、先生は、重大な決断などができないご病気なのかもしれないなと思っている。90歳のご高齢だし。

 もう、創価学会を信じていないけれど脱会はしていない理由はただひとつ、活動家の母のためだ。母がもし亡くなる時は、母が希望するであろう創価学会友人葬をしてあげなくてはならないと思うし、大学を辞めるというだけでも母のことは泣かせたので、創価学会を辞めるというのはもっと悲しませるはずだと思うから、少なくとも、母が生きてるうちは辞めない。

 でも、私は、創価学会に籍を置いていても、一切、折伏などの勧誘や、公明党に票を入れてほしいとお願いする選挙の応援の活動もしないし、特に、それを、短歌や回文などの趣味で繋がっている皆さんに対してすることは絶対にないとお約束したくて、正直に書いた。

 もし、創価学会について話をしたいという人がいれば別だが、結婚などの重大な転機の時以外で私から創価学会の話をするのは、これが最後だと思う。

 かなり長文になってしまいましたが、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。