本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

「死なないと約束できる時まではこの子に会いに来ないでほしい」

 今日の午前中は、弟と甥っ子に宮崎のお土産とかクリスマスプレゼントを渡すために会ってきた。
 1歳2か月の甥っ子は、もう、かなりいっぱい歩けるようになっていて、単語も少し話せるようになっていた。特に、歩いてる時に木があると、
「き!」「き!」
と、いちいち指差して教えてくれたり、男の子だからか車も大好きなようで、車が通ると反応するんだけど、唯一、言葉にしてハッキリ言えるのがトラックで、
「トラック!」「トラック!」
と、トラックを見るたびに喜んでいた。
 いつも弟が甥っ子と遊んでいるという公園に、今日はたまたま軽トラが4台も止まっていて、甥っ子のはしゃぎっぷりが半端なかった。
 そして、まだ本人はそんなに言葉を話せないけど、弟の言ってることは理解しているようで、弟が
「こっちは道路だから危ないよ、ダメ」
と言うと、クルッと向きを変えて歩き出したりする。
 人は、生まれてたった1年とちょっとで、こんなにも成長するものなのかと、感動した。
 ちょっと笑ってしまったのが、駅に向かう途中で救急車がサイレンを鳴らして通ったんだけど、それを見た瞬間、甥っ子の目がキラキラ輝いたことだ。弟が
「救急車はそんなに嬉しそうに見ちゃいけないよ」
と嗜めていた。
 弟は、私が仕事を始めて少し安心したようだったが、本当は、今日、甥っ子を連れて来ることはとても悩んだんだと言っていた。そして、
「まだ、死にたいと思ってる?」
と訊かれた後に言われたのが、冒頭の歌にした台詞だ。弟は、
「もう、顔を覚えてしまうと思うから、もし、自殺されたら、一生この子のトラウマになると思う。だから、もう、死なないって自信を持って言えるようになったらまた連絡してきて」
と言った後、甥っ子に
「バイバイ、また会おうね、って」
と話しかけると、甥っ子は、小さな手をしっかり振ってくれたのだった。

 今のところはなんとか落ち着いてはいるけれど、死にたさがなくなったわけではないし、正直、また悪化してしまうんじゃないかという不安もある。
 うつ病で6年間引きこもってても希死念慮だけはなかった私が、突然、起きてる間ずっと「死ね」という幻聴に悩まされるようになり、自殺未遂を繰り返すようになった原因となる出来事からそろそろ1年が経とうとしているけれど、その原因となるものを作った人たちからはごめんの一言もないどころか、営業妨害だとか、消耗したと逆ギレされ、話し合いにも応じてもらえず一方的にブロックされ、現在に至る。
 たぶん、この人たちは、自分や自分の大切な人が轢き逃げされて死んでしまったり、私と同じ病気になって引きこもってみたりしない限り、私の辛さなど理解できないのだろうなとも思うけど、それがどんなに苦しいことか知ってるから、同じ目に遭えばいいとは思わない。
 ただ、軽率に、一部の読者への配慮のないものを作った結果、病気が悪化した人がいたという事実はちゃんと受け止めてほしかったと思うし、そこに悪気がなかったのだとしても、心を深く傷つけたことに対してはちゃんと謝罪してほしかったと思う。
 あの時、すぐに謝ってくれてさえいれば、警察にお世話になることも、家族を心配させることもなかったかもしれない。
 でも、人生にもしもはありえないし、あの人たちにそんな良心はないことは、この1年でよくわかったから、諦めなくてはならないのだろう。
 自分と未来は変えられても、他人と過去を変えることは出来ないと言うではないか。
 それでも、まだ、好きな人を信じたいと思っている自分がいる。