うたの日・お題「自由詠」
通り魔よ誰でもよかったのならば心の死んだ私にしろよ
通り魔による殺人事件のニュースのたびに思うこと。
まだ生きなくちゃいけない理由のある前途有望な人ではなく、死んだように息だけしている私のような人間を狙ってくれたらいいのに、って思う。
私が死んでも、そんなに困る人はいないし、むしろ、私の好きな人の様子や、私を不幸のどん底に落とした人の態度を見ている限りでは、私が死んでいたら喜んだんだろうな、と思うくらいだ。彼らは、私が死のうとしている日を事前に知っていても私を無視し、当日は楽しく遊んでいたのだから。
彼らにとって、私の命なんて、害虫の命のようなものなのだなということはよくわかった。だから、私が死にたいと思ってしまうような残酷なことも平気でできたのだと思うけれど。
ただ、そこまで酷いことをされても、彼のことしか好きになれないのがとても苦しい。それは、彼の欠点が、私を好きじゃないということしかないのは、最初からわかっていたことだからだ。それでもいいと思っていた。あの人に何もかもめちゃくちゃにされるまでは。
私は、彼のことは憎まないけど、彼を憎む分もあの人を憎むし、一生許さないと思う。
私より年上だから、老衰なら私より早く死んでくれるとは思うけれど、私にふりかかる災いの一億倍の不幸があの人の元に集中したらいいのにと思うくらいには憎んでいる。
でも、人を憎むのはものすごくエネルギーの要ることで疲れてしまうから、こんな歌を詠みたくもなるのである。