今日の自由詠
誰よりも君を愛した痕跡を遺品整理の要領で消す
好きな人にTwitterでDMをブロックされてメッセージのやり取りができなくなった後、私は、初めて、他にもアカウントを作った。それは、たぶん、いずれ、彼はDMだけではなく私のアカウント自体もブロックするだろうと予想し、彼のツイートを保存するためのアカウントにしようと思ったのだ。
アカウントには鍵をかけて、誰もフォローせずに、彼のアカウントを覗いて、彼がツイートした彼の作品をRTしTLを全て彼のツイートだけで埋めつくし、プロフィールには彼の写真をツイートして固定していた。もう、彼とは逢えなくても、毎日、彼の写真を眺めて彼の作品を見ることができるだけでも幸せだと思い込むようにして耐えてきた。
でも、彼は、もう、私が大好きだった彼ではないのだということを先日思い知って、私の中で1本の糸がプツンと切れる音がした。
去年の4月から毎日のようにRTしてた彼のツイートのRTもいいねも全部取り消して(400以上あった)、彼の写真も削除した。
私は、彼が作った心ない作品のために死ぬほど追い詰められたけど、何も、私が死ぬことはなかったのだ。あの時、私が大好きだった彼の方がもう死んでしまっていたのだ。
それなのに、私は、この作品限りのことだからと彼の冷酷な部分に目を瞑ろうとして、話し合えばいつかはわかってもらえるのではないか?なんて思っていた。でも、その考えは甘かった。
生きている人間と死者は話すことはできないみたいに、もう、私たちの言葉が通じ合うことはないのだから。