本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

もう君が私の過去となった今、東京に住む理由を探す

 一昨年、うたの日で

南国のマンゴー農家と見合いせず実らぬ恋を詠う東京

という歌を詠んだ。
 私が東京に住んでいるいちばんの理由は、片想いでも好きな人と逢うことができるからだったように思う。ずっと、彼のことを想ったまま、おばあちゃんになるまで友人として交流できるものだと思っていた。この歌を作った時は。
 でも、何もかも壊れてしまって、偶然バッタリ遭遇する機会がなければ、もう、彼に会うのは不可能だと思うし、自分の作品のためには他人を利用するけど、その作品に協力してくれる人のためには何もしないどころか、私に会いたくないという自分勝手な理由で、約束を平気で破って直前にキャンセルすることができるくらい薄情な人なのだなとわかったので、もう、彼の顔を見たいとは思わない。
 今思えば、彼は、私が手紙で告白した後、「自分を肯定してくれる人がいてくれるのは嬉しい」と返事をくれたけど、それは、私が、彼にとって都合のよい人間だったからで、彼の作品に傷ついたことを抗議して批判したら逆ギレされて音信不通になったので、要するに、彼は、自分や作品を褒め称えてくれるイエスマンしか必要としていないんじゃないだろうか。
 彼が自分本位な人だと言っていた友人の言葉は重いし、本当はもっと早く気付けたはずなのに、ずっと見ないふりをしてきた自分はなんて愚かだったのだろうかと思う。友人は、男性を見る目を養わせてもらったんだと思いましょう、と言ってくれたけど。
 彼と会えなくなっても東京にこだわる理由はあるのだろうか。
 年々年老いてきている両親のいる宮崎に帰るべきなのだろうか。