本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

東京で二十一年連れ添った日立の冷蔵庫ともお別れ

 

 私が大学の寮を出てひとり暮らしを始めた19歳の時、お金がなくてしばらく冷蔵庫のない暮らしをしていた。

 発泡スチロールに保冷剤を入れて食料を入れてなんとか乗りきっていたのだけど、初夏に、浅蜊と牛肉の中華炒めを作って食べたら食中毒を起こした。それを知った母が、

「これで冷蔵庫を買いなさい」

とお金を送ってくれて、国内メーカーのいちばん安い2ドアの冷蔵庫を探して、日立の冷蔵庫を買った。

 この冷蔵庫が、霜取りが自動でできないので、時々、冷蔵庫の温度を上げて霜取りを手動でしてあげなければならない世話の焼ける冷蔵庫だったんだけど、とても丈夫で大学を1年留年して中退して働きだしてからも壊れなかった。

 24歳の時、私は、当時の派遣会社に三洋初の女性販売員として冷蔵庫を売る担当を任された。

 冷蔵庫の商品知識はまったくなかったので、各メーカーのパンフレットを片っ端から読み、仕事の後や、外出した時には家電量販店の冷蔵庫売り場に必ずゆき、販売員さんにどんどん質問をして商品のことを頭に叩き込んでいった。その中で、最初の方に覚えたのが、冷蔵庫の耐久年数は10年くらいで、10年経つとモーターがダメになるということだった。

 それなのに、私の冷蔵庫は10年経ってもぜんぜんなんともなかった。私が5年間お付き合いした恋人と別れて泣き暮らしていた時も、うつ病と対人恐怖症が酷くて月に1度の通院しかほとんど外出できなかった6年間も、この冷蔵庫は休まずにずっと働いてくれていた。

 時々、不調になって、冷凍庫のアイスが溶けていたりすることもあったけど、しばらく様子を見たらご機嫌を直してくれた。その時に詠んだ歌が「擬人法」というお題で薔薇をいただいた

 

二十年不眠不休の冷蔵庫ご機嫌斜めでパピコも溶かす

 

という歌だ。それが2017年11月24日のことだったらしい。

 そして、今日、なんか、冷蔵庫がものすごい音を出してる!と思って見てみたら、冷凍庫の霜が解けて、床がびちゃびちゃになっていた。なんとか、また、機嫌を直してくれないだろうかと、電源を入れ直したり、温度調整をしてみたりしたけれど、どうやら、もう、寿命らしい。

 最近、私は毎日死にたいと思っていて、自分の命日にする日も決めて準備を整えているところで、それを知る人に、必死で死なないように説得されたりしてたんだけど、私より先に冷蔵庫が逝ってしまった。長い間、ずっと側にいてくれてありがとうという気持ちでいっぱいになった。

 まだ、暑い日が続くからちょっと不安ではあるけど、なんとか、残りの日々を冷蔵庫なしで乗りきってみようと思う。