本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

2018年・他選5首

 私はあまり短歌を読むほうではないけれど、それでも、Twitterを中心に今年もたくさんの短歌を読む機会があった。その中で、特に心に残ったお歌を5首引きたい。歌集などから引く場合、私が今年読んだというだけで、今年詠まれたものではないこともあるけれど。

世界からいなくなったと仮定してブロックしたあとすぐに戻した
                    鈴掛真
(『短歌研究』2018年2月号 「海より深い」より)

 鈴掛真さんは、私が短歌を始めるきっかけになった大好きな歌人で、彼の詠む恋のお歌の多くは理屈抜きで好きなんだけれど、この連作の中の1首は特に心を揺さぶられた。
 おそらく、主体は、恋人か好きな人がTwitterなどのSNSにいて、そこで連絡を取り合える関係だったのだろう。ブロックをすることが世界からいなくなったと仮定できるということは、SNS以外では連絡を取っていなかったのかもしれない。ブロックひとつで、簡単に大切な人との縁も切ってしまえるところに今という時代を感じるし、たかがSNS、されどSNS、そこで連絡が取れなくなるということが世界を変えてしまうほどのことなのだ。でも、すぐにまた元に戻せるカジュアルさも、今っぽいけれど。
 とてもサラッと詠まれているようで、ブロックした相手に対する憎しみと愛の両方を感じさせるところが鈴掛さんらしいお歌だなあ、と思った。 


はつ夏の少女の群れの指先に光のように紡がれる手話
                   風花 雫
(角川『短歌』2018年3月号 第9回角川全国短歌大賞〈題詠部門〉神奈川新聞社賞・中川佐和子選)

 私も、この賞には昨年応募して同じ題詠部門で東京新聞賞をいただけたのだけど、題詠「手」で、手話という言葉を詠み込んでいたのが、風花さんと私だけだったということもあり、とても心に残ったお歌。
 はつ夏の少女の群れというのがなんとも爽やかで美しいし、その手話に光を見出だされた優しい眼差しにも、手話の動作ひとつひとつを紡がれると表現したことで、少女たちの手話がまるでひとつの歌や物語であるかのような雰囲気になっていて、彼女たちの青春の輝きを見事に表現されてるなあと感動した。 
 だから、後日、このお歌の二番煎じのような歌を見てしまった時には目が点になったし、ますます、このお歌の素晴らしさを再確認したのであった。


生きているというより生き抜いている こころに雨の記憶を抱いて
                  萩原慎一
 
(歌集『滑走路』「理解者」より) 

 歌集自体は昨年発売されたものなのだが、私は、自分が死にたくてたまらない時に、死ぬ前にこの歌集だけは読んでおかなくてはならないだろうと思って、三鷹に行った時にたまたま寄った本屋でたまたま1冊だけ残っていた初版本を買うことができ、今年読んだ。
 私も、小中学校といじめに遭っていたり、大人になってからだけど精神疾患と闘ってきたということもあり、この1首にはとても共感した。
 辛かった記憶というのは、簡単に忘れることができるものではなく、ずっとトラウマとなり、引きずるものだ。
 でも、萩原さんのこのお歌で注目すべきところは、結句の「抱いて」という動詞だと思っていて、もちろん、雨に例えるほどの辛かった記憶なのだろうけれど、そんな記憶でさえも、自分の人生の一部として肯定してとても大切にされてるように見えるのだ。
 短い生涯だったけれど、萩原慎一郎という青年が、今を懸命に生き抜いていたこと、短歌と出会うことによって救われていた(と思いたい)こと、まっすぐに短歌と向かい合っていらした姿勢をずっと覚えていたい。

ゆびきりはよいこのあそび こころから一番とほいゆびを差し出し
                   有村桔梗

(歌集『夢のあとに』 「猫の棲む町」より)
 
 以前からよく言ってることなんだけれど、私は、旧仮名遣いの短歌があまり好きではなくて、旧仮名遣いの短歌にはなんとなくあざとさを感じてしまうし、それは現代仮名遣いであっても同じことが言えるんじゃないの?と思ってしまうことが多いのだが、うたの日で、そんな旧仮名遣いアレルギーのような私でも何度もハートを入れてしまう短歌こそ、この、有村桔梗さんのお歌である。
 桔梗さんのお歌は、旧仮名遣いだからこそ素敵なお歌が多いのだ。昔と今とで変わらぬものであったり、昔から今までの時の流れを感じさせることであったり、そういうお歌の中で旧仮名遣いを用いられると、必然性を感じる。
 このお歌も、いつの時代も変わることのない子供たちを詠んでいるのだけど、その心にはいろいろなものを抱えていて、それを隠してよい子を演じている子もいるのだと気づかせてくれる。作者が可愛いゆびきりという遊びに隠れた危うさに気づけたのは、この子供が作者自身だったからなのかはわからないけれど、この子をギュッとしてあげたくなるような、素晴らしい1首だと思う。


雨の降り始めた街にひらき出す傘の数だけあるスピンオフ
                   近江瞬

(うたの日 2018年12月26日・お題「オフ」)
 
 最後は、今年もたくさんお世話になったうたの日からの1首。
 つい最近、ハートを捧げたばかりのお歌なんだけれど、なんて優しいお歌だろうか!と思って。
 うたの日にもコメントを残してきたけれど、このお歌が読めて本当に幸せだと思ったし、雨のたびに思い出すだろうなと思う短歌がまた1首増えた。
 それぞれのスピンオフの主人公たちがみんな幸せになるといいなと思えるし、雨のお歌なのにこんなに明るいところも素敵だ。 
 いつも、うたの日の好きなお歌に感想を書くときには、こんなにいいお歌を読ませてくださってありがとうございましたという気持ちを込めて書いてはいるんだけど、このお歌は特に感動したので、ありがとうございましたってちゃんと言葉にしてきた。そのくらい、心から素晴らしいと思えるお歌だった。


 来年も、また、素敵な短歌との出会いがたくさんあるといいな。