今日の自由詠
めんつゆのようにビシッと決まってる私の味を求め続ける
めんつゆを使って料理をしたことのある人ならおわかりだと思うけど、めんつゆで味つけした和食って、なんでもめんつゆ味になる。それは、新鮮味はないのかもしれないけど、いつでも安定したビシッと決まった味だということだと思う。
私が目指してる短歌もそういう短歌で、この短歌はどこからどう見ても澪那本気子の短歌だよね、とわかる、私にしか出せない味の短歌を作りたいし、めんつゆ味の料理は誰もが食べたことのある味だと感じるように、読んだ人の懐かしい記憶を呼び覚ますような、共感される大衆的な短歌を作りたい。
自分の個性を出すのと多くの共感を得ることの両立は難しいことだと思うのだけど、私が短歌でやりたいのはそういうものだ。
文学としての短歌が高級料亭で出てくる料理のような、一流の教育を受けた知性の高い人たちにしか理解できない短歌なのだとしたら、私が作りたいのは、お母さんの作る素朴な家庭料理のような、短歌を読んだことも詠んだこともないような子供からお年寄りにまで理解できる短歌なのだ。
いつ、自分の作風がしっかり固まるのかはわからないけど、今はとにかく詠み続けるしかないなと思う。