本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第8グループ⑧霧島絢さん

 霧島絢さんとはお会いしたことはないんですけど、時々文通をしています。沖縄の絢さんとの手紙のやり取りはとても楽しく、短歌のこと、結社のこと、プライベートのことなど書いて送るのですが、何でも率直に語ってくれる絢さんのことが私はとても好きです。
 短歌を始められたのは2年前とのことなんですが、今は短歌結社・未来の笹公人先生の欄にいらっしゃって、ああ、あの面白い笹先生の欄なら絢さんに合うだろうなあと思いました。
 絢さんのお歌の中で特に好きだったものがこちらです。


別れても好きな人って言うならば一緒に居ろと他人は思う/霧島絢 2019年12月7日・お題「別」

 こう言われてみれば確かにそうで、そんなに好きだったらどうして別れてしまったんだろう?と思う別れたカップルとたまに遭遇することがありますけど、「一緒に居ろ」と命令形なところが率直な絢さんらしくて気持ちがいいです。
 しかも、面白いのが、主体は、別れても好きな人がいると言っている人と自分との関係を他人だと言ってるところにあると思うんです。友達などの親しい関係ではなく、他人。話を聞きながら「一緒に居ろ」とツッコミたくなりつつも、主体とこの人は他人でしかないから、口には出さずに思うだけで我慢しているのでしょう。
 以前、俵万智さんが、短歌で「思う」と詠み込むのはよくないと言われていた記憶があります。思っているから短歌になっているのだから、当たり前のことをわざわざ詠むなという趣旨でしたでしょうか。でも、このお歌では、「思う」に必然性があると感じました。
 日頃、短歌を読むことも詠むこともないという人がたまたま短歌を読んだ時に、共感されやすいのはこういうお歌ではないかと思っています。今まで、誰が思っても不思議ではないけれど誰も短歌の形では発表していなかったことを目ざとく見つけて短歌にする力があることだって、作者の実力のひとつだと私は思います。