本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第10グループ⑧中牧正太さん

 うたの日で中牧正太さんといえば、最初に薔薇100本を獲得されて王子の称号を持つ唯一の歌人で、どれだけ多くの人たちに影響を与えてきた方なのか計り知れないし、中牧さんを目標に頑張ってきたという歌人も何人かいるほどの人です。
 しかも、昔の私に読解力がぜんぜんなくて、中牧さんのお歌の良さが私には理解できない!なんてことを包み隠さず伝えても、本当はすごく怒ってらっしゃるのかもしれないけれどそれを微塵も見せず温かく接してくださって、ものすごく失礼なことをしてきたなと猛省しております。
 だからというわけではないのですが、私もうたの日デビューから5年も経ち、やっと、中牧さんのお歌の素晴らしさに気付けて言語化できるようになってきたので、今回は好きなお歌から3首引きます。



ああそうかすべての恋は終わるのだ平家蛍が「ん」と書いてゆく/中牧正太 2014年6月4日・お題「虫」


 このお題で、こんなにもせつない恋の終わりのお歌を詠めるなんてすごい!と素直に感動しました。しかも、お題を詠み込まずに、具体的な虫の名前として平家蛍を詠み込まれているのも、計算し尽くされているのではないかなと思います。
 この蛍が源氏蛍だったとしたら、平家蛍よりも大きく、光も強いので、仮に五十音の終わりである「ん」と書いても元気が良さそうで、恋の終わりとは結びつかないと思うんです。しかも、歴史上でも、源氏は勝者。源氏蛍が出てくる短歌には失恋は似合わないのです。でも、源氏蛍よりもずっと小さく、光も弱い平家蛍ならば、もう恋の終わりが近付いてきていることと重ねやすいです。それに、平家は滅亡しましたし、これから終わる恋に復縁の望みはないことも感じさせます。
 とてもしんみりとした気持ちになる、淋しいけれど美しいお歌だと思います。



ものすごく枯れた枯れ葉が柴犬の瞬発力を引き出している/中牧正太 2020年4月29日・お題「瞬」


 ものすごく丁寧な観察力の光る、しかも、その観察をする眼差しがとても優しいお歌だと思いました。
 命には必ず終わりがあって、このものすごく枯れた枯れ葉も、もう、そろそろ限界なのではないかと思うんだけど、主体には、柴犬が反応しているこの枯れ葉が最期の力を振り絞って柴犬の瞬発力を引き出しているように見えたのでしょう。
 この枯れ葉と柴犬の姿に、人間の祖父母と孫を重ねて見ることもできるのではないかと思います。
 命とは巡り巡って受け継がれてゆくものだと改めて感じることのできるお歌でした。


性交渉四十八手の一覧のやうにまばゆしサーティーワンは/中牧正太 2020年5月26日・お題「四十八手」


 このお題で、旧仮名遣いなのに、こんなに軽やかな明るいお歌になるところがさすがだなと思います。
 以前から公言しているのですが、私は旧仮名遣いのお歌が苦手で、そのお歌で伝えたいことを表現するのに本当に旧仮名遣いは必要か?現代仮名遣いでも大差ないんじゃないのか?と意地悪な見方をしてしまいがちなんですけれど、このお歌は旧仮名遣いにとても必然性があると思いました。
 四十八手って、江戸時代に決まった名称で、江戸四十八手と呼ばれることもあるそうですが、現代と違って写真もなければ、エロ本も、アダルトビデオもなかった江戸時代、性に目覚めた人々にとって、浮世絵で描かれた四十八手は、いちばん興奮できるとてもまばゆいものだったに違いありません。
 その四十八手に匹敵する現代のまばゆいものとして、サーティーワンのアイスクリームを詠み込んだことも秀逸だなと思います。たくさんありすぎて迷ってしまうカラフルなサーティーワンのアイスクリームと、美しい浮世絵に描かれた四十八手は、どちらも多くの人をわくわくドキドキさせて喜ばせてくれるという共通点があります。
 時代は変わっても、その時代に生きている人々というのはみんな似たようなものなのではないかと思えて、人間が愛おしくなるようなお歌だと思いました。