うたの日・お題「階段」
スカートを摘まんで上る階段で王子さまとはまだ出逢えない
私は身長が152cmしかないんだけど、足が太くて短いので丈の短いスカートや足の形が強調されるようなパンツはなるべく穿かないようにしてて、ワンピースやロングスカートを着用することが多い。
特に、夏は、マキシ丈のワンピースを好んでよく着るけど、階段を上る時に裾を踏んづけて転びそうになるので、よく、スカート部分をちょっと摘まむようにしている。
まるで、お姫様のような動作ではあるのだが、王子さまと出会える気配はぜんぜんない。
今日の自由詠
頼み込み君に折らせたやっこさんだけが今でも変わらずにいる
もう、好きな人への想いは変わってしまったはずなのに、まだ、彼に折り紙で折ってもらったやっこさんを捨てることができずにいる。
たかが、折り紙1枚なんだけど、それでも、これは、私が彼にもらった唯一の形のあるものだからだ。出張のお土産のお菓子をもらったこともあったけど、それは食べてすぐなくなったし、この筆名や、私の筆名が入った彼の作品なんかはもらったことがあるけど、彼の手で折ってもらったこのやっこさんは、特別なのである。折り紙自体は私のものだけど。
このやっこさんを躊躇いなく処分できたら、きっと、私は、新しい恋の準備ができるのだろうな。
うたの日・お題「子」
幸せも気づかないまま包んでた母と並んで作った餃子
子供の頃、よく、母と餃子を作った。不器用な私はなかなか餃子の餡を上手く皮に包めなかったけど、母はにこにこしていた。
大好きな岡村孝子さんの「夏の日の午後」という楽曲の歌詞の中に
幸せなんて言葉があるからそれと気付かずに思い出ばかり作るのね
という部分があるのだけど、家族との思い出って、まさにそうだと思う。振り返ってみると、幸せだったなあと思うんだけど、その時は、それを感じることはできていない。なんて贅沢なのだろう。
ひとり暮らしを始めてからは、餃子も作ることはなくなった。大量に作っても冷凍庫がいっぱいになってしまうし、少量だと高くつくし。
次に帰省したら、また、母と餃子を作ろう。
今日の自由詠
もう君が私の過去となった今、東京に住む理由を探す
一昨年、うたの日で
南国のマンゴー農家と見合いせず実らぬ恋を詠う東京
という歌を詠んだ。
私が東京に住んでいるいちばんの理由は、片想いでも好きな人と逢うことができるからだったように思う。ずっと、彼のことを想ったまま、おばあちゃんになるまで友人として交流できるものだと思っていた。この歌を作った時は。
でも、何もかも壊れてしまって、偶然バッタリ遭遇する機会がなければ、もう、彼に会うのは不可能だと思うし、自分の作品のためには他人を利用するけど、その作品に協力してくれる人のためには何もしないどころか、私に会いたくないという自分勝手な理由で、約束を平気で破って直前にキャンセルすることができるくらい薄情な人なのだなとわかったので、もう、彼の顔を見たいとは思わない。
今思えば、彼は、私が手紙で告白した後、「自分を肯定してくれる人がいてくれるのは嬉しい」と返事をくれたけど、それは、私が、彼にとって都合のよい人間だったからで、彼の作品に傷ついたことを抗議して批判したら逆ギレされて音信不通になったので、要するに、彼は、自分や作品を褒め称えてくれるイエスマンしか必要としていないんじゃないだろうか。
彼が自分本位な人だと言っていた友人の言葉は重いし、本当はもっと早く気付けたはずなのに、ずっと見ないふりをしてきた自分はなんて愚かだったのだろうかと思う。友人は、男性を見る目を養わせてもらったんだと思いましょう、と言ってくれたけど。
彼と会えなくなっても東京にこだわる理由はあるのだろうか。
年々年老いてきている両親のいる宮崎に帰るべきなのだろうか。
うたの日・お題「休」
箸休めでもかまわない一度だけ私を味見してほしかった
箸休め的なさつまいものレモン煮とか、金時豆の煮たやつとか、なければなくても構わないものではあるんだけど、食べるとホッとする。
私も、恋愛対象として見てもらえなくても、好きな人にたまに抱きたいと思われるような女でありたかったなと思う。
でも、今となっては、そういう対象にすら見てもらえなかったというのは幸運だったのかもしれない。きっと、私の性格的に、自分のことを抱いてくれた人のことは一生忘れることはないから。
今日の自由詠
誰よりも君を愛した痕跡を遺品整理の要領で消す
好きな人にTwitterでDMをブロックされてメッセージのやり取りができなくなった後、私は、初めて、他にもアカウントを作った。それは、たぶん、いずれ、彼はDMだけではなく私のアカウント自体もブロックするだろうと予想し、彼のツイートを保存するためのアカウントにしようと思ったのだ。
アカウントには鍵をかけて、誰もフォローせずに、彼のアカウントを覗いて、彼がツイートした彼の作品をRTしTLを全て彼のツイートだけで埋めつくし、プロフィールには彼の写真をツイートして固定していた。もう、彼とは逢えなくても、毎日、彼の写真を眺めて彼の作品を見ることができるだけでも幸せだと思い込むようにして耐えてきた。
でも、彼は、もう、私が大好きだった彼ではないのだということを先日思い知って、私の中で1本の糸がプツンと切れる音がした。
去年の4月から毎日のようにRTしてた彼のツイートのRTもいいねも全部取り消して(400以上あった)、彼の写真も削除した。
私は、彼が作った心ない作品のために死ぬほど追い詰められたけど、何も、私が死ぬことはなかったのだ。あの時、私が大好きだった彼の方がもう死んでしまっていたのだ。
それなのに、私は、この作品限りのことだからと彼の冷酷な部分に目を瞑ろうとして、話し合えばいつかはわかってもらえるのではないか?なんて思っていた。でも、その考えは甘かった。
生きている人間と死者は話すことはできないみたいに、もう、私たちの言葉が通じ合うことはないのだから。
うたの日・お題「日本国憲法」
天皇が女性でもよい世になれば生理休暇も取りやすいのに
特に、私は政治的な思想は右寄りでも左寄りでもないのだが、天皇制については、どうして女性では天皇になれないのだろうか?と不思議に思っている。
天皇が国民の象徴だというのなら、男性に限らなくてもいいのではないか?
まあ、公務は大変な激務なので、体力的に女性より男性の方が向いているなどの理由があるならわかるんだけど、代々そう決められているからというのはいまいち納得できない。
特に、天皇陛下のお子さまは愛子さまだけなのだから、愛子さまでも別にいいのでは?と思うんだけど、愛子さまは女性だからという理由で後継者になれないのは、時代錯誤のようにさえ思える。
皇室でさえ男性と女性が同等ではないのだから、まだまだ、女性が生きにくい世の中のはずだよなあと思う。