本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今年6度目のスープ断食生活・復食期間14日目

 なんということでしょう!朝から1.5kgも増えた。まあ、しっかり食べてるから当たり前なんだけど。今回の復食期間は明日までの予定。

朝 納豆オムレツスパゲッティ、すいか

昼 鶏肉の山賊焼きスパゲッティ

おやつ アイスカフェラテ、ファミリーマートのシュークリーム(auのクーポンで無料)

夜 ラム肉と茄子のカレースパゲッティ、すいかの皮の漬け物

麦茶

 

 3食スパゲッティなのは、もうすぐ断食再開だし、米びつが空になったから。

 イタリアにも留学してらしたカウンターテナーの藤木大地さんが

「ごはんに合うものはパスタにも合う!」

と以前おっしゃって、それを聞いて以来、私のパスタのレシピはかなり自由になった。

 すいかは、祖母の教えで必ず皮の白いところも漬け物にして残さず食べるんだけど、祖母は、もったいない精神でやってたことだと思うんだけど、栄養学的に、すいかの皮の白いところにはシトルリンが豊富であると言われていて、これが、浮腫みを取ってくれるというから、昔の人の知恵は、すごいなあと思うのである。今日は、酢と牡蠣醤油と胡麻油で中華風の漬け物にした。 

明日のうたの日

 最初は6時の「地球」のお部屋にいたんだけど、たぶん、ののさんのことだから15日は終戦記念日に関係するお題が出るのではないかと思ってたら「戦争」のお部屋ができたので、数日前に詠んでいた歌を少し推敲して引っ越しした。

 最近はお邪魔してない時間帯のお部屋なので選評を忘れないように気をつけなければ。

 ちなみに、私は、2016年12月26日からうたの日に参加しているんだけど、今のところ欠詠はしていないし、好きなお歌だけに感想を書くというのも欠かさず続けている。

今日の自由詠

大切な人の幸せだけ祈りカードを書いてラッピングする

 

 私は、大切な人にプレゼントをするのが好きである。あまり高価なものは買えないんだけど、素敵だと思うものがあれば、誕生日などの記念日に関係なく小さなプレゼントをする。

 ダイソーで私がいちばん利用してるのはラッピング用品コーナーだし、300円ショップのミカヅキモモコでいちばんよく買うのがメッセージカードやポストカードだったりする。文房具屋でも必ずメッセージカードのコーナーは買わなくても見る。

 日常生活であまり幸せを感じる瞬間のない私でも、大切な人を想ってプレゼントやカードやラッピング用品を選んで渡すまでの時間はすごく楽しいし、大袈裟かもしれないけれど、生きてる実感が湧いてくるのだ。

 これは、我が家の血筋でもあるかもしれないけれど、母が大家族だったから、よくみんなで集まって、家庭料理だけどごちそうを囲んで、ささやかなプレゼントを贈り合うのが恒例だった。プレゼントには手紙やカードを添えるものだというのも子供の頃から当たり前のことだった。

 だから、私が小さなプレゼントをすることについて気配りだと言ってくれる人がいることはありがたいことではあるんだけど、違和感がある。私にとって、大切な人にプレゼントをするという行為は子供の頃からの習慣のようなもので、私自身が楽しんでやってることだからだ。

 あと、最近は、死にたいという願望が強いんだけど、この日にこの人をお祝いする約束があると思うと、その日までは生きなければならないと思ってなんとか頑張れるから、大切な人のためだと思ってやってることが結局自分自身のためにもなっているなあと感じる。

 

電気代

 この夏はずっと猛暑で、ほぼ毎日エアコンを使いっぱなしのせいか、今月の電気代がエアコンを使わない月のほぼ5倍だったので、頭を抱えている……

 寒い時は、何枚も重ね着したり、温かい飲み物を飲んだりしてなんとかほとんど暖房なしでも過ごすことができたんだけど、暑い時は昼間から裸で過ごすわけにもいかないし、一応、これでも女なので、安全のために窓はなるべく開けないようにしているし、冷たいものは摂りすぎるとお腹を壊すし、冷房に頼るしかないのだ。

 日本が春と秋だけだったらどんなに過ごしやすいことかと、毎年思う。

うたの日・お題「草」

干し草のベッドはどんな寝心地でどんな匂いかおしえてハイジ
 

 宮崎は、何度も何度も「アルプスの少女ハイジ」の再放送をしていたんだけど、私が子供の頃にハイジの生活でいちばん気になっていたのが、ハイジが寝ていた干し草のベッドだった。

 あれ、どんな寝心地なんだろうか?背中がチクチクしたりはしないんだろうか?アルプスまでゆけば、体験できたりするんだろうか?

 あの美味しそうなチーズもとても気になっているし、さすが、宮崎駿さんが手掛けられた作品だけあって、物語を動かすのにそんなに重要ではない細かい描写にまですごく気配りされていて、どんな内容だったかはぼんやりとしか覚えていないのに、干し草のベッドのことはいつまでも記憶に残っているのだ。