本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

 私の母は、本当に人間的に大きな人で、愚痴や不満を言うのをほとんど聞いたことがないし、他人の悪口も一切言わない。それが、自分を苦しめている相手であっても、誰にでも仏の心があると信じている人だ。

 父が働かずに昼間から飲酒し、パチンコと釣り三昧の日々を送り、悪酔いして暴れるという状況であった時も、母はひとりで朝から晩まで働き家事と育児をこなし、父を見捨てることなく頑張っていた。いつも笑顔で前向きに。

 そんな母だけど、あまりに自分を粗末に扱う会社に耐えきれなくなって、珍しく弱音を吐いて、先月、ついに辞めた。その会社の立ち上げの時から15年は働いただろうか。本来なら、退職金が支払われてもいいくらいだと思うのだが、先月支払われなければいけないはずの給料もまだ振り込まれていないとのこと。

 しかし、母は、持ち前の明るさと行動力ですぐに転職活動を始め、今月から、失業給付金をもらいながら勉強ができるパソコンと簿記の職業訓練校に通い始めた。62歳の母は、クラスの最年長だそうだ。

「今日は日直なんだよ」

と嬉しそうに話していた。

 しかも、母は、訓練校のない土日に3時間だけ飲食店の厨房で働く仕事も見つけてきた。 

 そんな働き者の母なんだけれど、私の病気のいちばんの理解者で、私が働けないことについてもずっと

「人間、元気になればいつでも働きたい時に好きなだけ働けるんだから、今は焦らないでゆっくりしなさい。病気を治すことだけ考えなさい」

と言って、私を支え続けてきてくれた。

 私が今、病気になった自分を責めることなくなんとか生きていられるのは、主治医のおかげでもあるけれど、母の存在がとても大きい。

 ただ、残念なことに、父は精神疾患に理解のないタイプの人で、もし、父が私の病気のことを知れば

「俺がその甘えた根性を叩き直してやる」

くらいのことを言い出し、私を実家に監禁するのは目に見えているので、私がうつ病だと診断された時点で、母と弟と話し合い、父には隠し通すことを決めた。

 ようやく、主治医から短時間労働の許可が降りたので、少しずつ社会復帰できたらと思っているけれど、ちゃんと稼げるようになって少し余裕ができたら母と旅行がしたい。