本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

ブラトップ・リラコ姿でおにぎりを持てば私も山下清

 

 ユニクロのブラトップとリラコは本当に楽で気持ちいいんだけど、胸は垂れるし、ウエストもゴムだし、不惑前の身体がますますだらしなくなる悪魔の部屋着だと思う。

 特に私は太っているので、歴代のCMの女優さんたちみたいに着こなせるわけもなく、どこからどう見ても「裸の大将」の山下清画伯である。

 山下清さんって、本当におにぎりが好物だったのかな?

 私もおにぎりは子供の頃から好きで、白ごはんだと茶碗1杯を食べきれないこともあるのに、母のおにぎりなら何個も食べられた。

 芦屋雁之介さんの山下清役も素敵だったけど、ドランクドラゴン塚地武雅さんの山下清役がとてもいいなと思う。

 

ウナパン回文・お題「酒」

 今年、自分が作った回文の中では今のところいちばんの自信作が

 

断絶、友でも突然だ。

だんぜつともでもとつぜんだ

 

なんだけれど、今回採用していただいた酒回文はそれに並ぶ自信作だった。大賞は逃したけれど。

 

 まず、不採用になった回文がこちら。

 

酒、ガチの一気、不吉。命懸けさ。

さけがちのいつきふきついのちがけさ

 

よく吐く子、酒抜けぬ今朝、告白よ。

よくはくこさけぬけぬけさこくはくよ

 

よう!おかん、紙に書いとけ!酒とイカにミカン買おうよ。

ようおかんかみにかいとけさけといかにみかんかおうよ

 

悪酔い、いかん。ナイツ、酒漬けさ。つい、なんか、言いよるわ。

わるよいいかんないつさけづけさついなんかいいよるわ

 

 採用していただいた回文がこちら。

 

「バテた、今朝も……」
「肝炎かも。酒、断てば?」

ばてたけさもかんえんかもさけたてば

 

 私の父はC型肝炎だったのだけど、肝炎の特徴的な症状として、身体の怠さがあって、これは、とても理屈の通ったスッキリした自然な回文になったと思っている。

 ラジオの回文なので、なるべく短めで耳で聴いてもわかりやすい回文を作りたいと最近は思っていて、シンプルな回文ほど既出回文も多いので新作を作るのは苦労も多いのだが、考えれば、まだまだあるものだ。

 

今年4度目のスープ断食生活・10日目

 朝から800g減ってくれた。

 

朝 冷たいじゃがいものポタージュ

昼 アイスカフェラテ、担々風スープ春雨

おやつ アイスコーヒー、カロリー60%オフのカルピス

夜 48種類の野菜ジュース

 

麦茶

 

 暑いと自然と食欲もなくなるから、夏は断食向きの季節だと思う。熱中症にだけは気をつけて今後も続ける。

今日の自由詠

「おじちゃんが理想の結婚相手だよ」五月の空に向かって語る

 

 以前、苺ミルクについて書いた時にもこのブログに登場したのだが、私は、母の姉の夫である伯父に実の子のように可愛がられて育ち、伯母に

「おばちゃんが死んだら、私、おじちゃんの後妻になる!」

なんて言うくらい、伯父のことが大好きだった。

 伯父は、とにかくマメでよく動く人で、いつも穏やかで優しく、自分の家族や両親はもちろん、妻である伯母の両親(私の祖父母)にも本当に親孝行してくれる人だった。

 いつも、笑顔で面白い冗談ばかり言って、伯父の近くにいると誰もが笑顔になった。

 伯父は、肺の病で亡くなったのだけど、とても苦しかったはずなのに、亡くなる前日まで担当の看護師さんたちや主治医を笑わせていたのだという。

 五月に亡くなった伯父だけど、雲ひとつないカラッとした五月の青空のように、どこまでも明るい人だったから、毎年この時期は伯父の笑顔を思い出す。

 伯父が結婚の挨拶に初めて私の母の実家に来た時、祖父は、伯父の顔を見て

渥美清に似てる」

と言ってすぐに結婚を許可したそうなのだが、会う人会う人を笑わせて幸せにしてくれてた伯父は、顔だけではなく雰囲気も寅さんっぽかったかもしれない。

 

うたの日・お題「ベンチ」

公園のベンチでパピコを分け合った夜に初めて繋いだ手と手

 

 この歌は、時期的にパピコにしたけれど、本当は不二家のルックチョコレートだった。

 私は、母ととても仲がよく、母との間には秘密が何もないので、恋愛のことでもなんでも話しているのだが、24歳の時に好きになった人が当時警察学校にいて、その卒業を待って2度目のデートを上野動物園ですることになり、それを母に報告したら、

「デートの時にふたりで食べなさい♪」

と、小包の中に不二家のルックチョコレートを入れて送ってくれたのだ。

 動物園の後、上野公園に寄って、私たちは、ベンチに座ってルックチョコレートを半分ずつ食べた。

 その日の帰り、駅のホームに上るエスカレーターで、彼が私の耳元に近寄って

「手を繋いでもいい?」

と、訊いた。私は、嬉しいのと、ドキドキしたのとでその場で頷きながら号泣してしまって、彼を困らせた。

 でも、そのくらい、好きな人と手を繋ぐというのは私にとっては特別なことで、職に就いて親の脛をかじらなくなるまでは恋愛はしないと決めていた学生時代を送った私には初めての経験だったから、手を握られた瞬間に涙がどんどん溢れてきて止まらなくなってしまったのである。

 そして、私たちは恋人になった。29歳でお別れの時が来るまで、ずっとずっと大好きな人だった。