うたの日・「羽」
大空を羽を広げて飛ぶこともない鶏にいただく命
鶏がもし飛べたら、食用にされることはなかったのだろうか。
私は、昔、脚本家になりたかったので、脚本家の倉本聰さんが主宰されてた富良野塾に憧れてたことがあったのだけど、富良野塾は、入った初日に、ひとりに1羽ずつ生きた鶏が配られて、自分で調理しなければならないという話を知って、私には絶対無理だと思った。
私の祖母や伯母なんかは、これもやってたことを思うと本当にすごい。伯母がさっきまで生きていた鶏のローストチキンを作ってくれたことがあって、複雑な気持ちだったけど、美味しいものは美味しかった。
人間のために命を犠牲にしてくれてる生き物たちと、生き物を食べられる状態にしてくださってる人たちへの感謝を忘れてはならないと思う。