本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

レッテル

 自分の価値観や正義が間違っていないと信じて、簡単に他人にレッテルを貼ることは怖いことだと思っているし、それをされると酷く落ち込む。

 今日、TwitterのTLでセクハラ疑惑で叩かれている歌人のことを見て、 悲しい気持ちになった。

 SNSで、本名や年齢や職業を公表しないことはよくあると思うのだが、それが性別だとどうして批判されなければいけないのだろうか?

 確かに、話題になっている人は、言動や好きなものが女性っぽくはあるけれど、私の記憶が確かならば、自ら女性だと発言したことはないように思う。私も今日まで女性だと思っていたからびっくりはしたけれど、そんなに責められなければならないことだろうか。この人は、歌舞伎の女形の人たちや、宝塚の男役の人たちが舞台では違う性別を演じるように、SNSでは女性になりきりたかっただけではないのだろうか?

 もちろん、それを悪用して、意中の女性とふたりきりで会って交際を迫るとかなら大問題だと思うのだけれど、私は、この人にフォローされて、歌会のことや結社のことで悩んでる時に話しかけられたが、何一つ無理強いされたことはないし、この人が主催する歌会にも誘われたことはないし、ただ、短歌の先輩として親切心で意見を言ってくれただけなのではないかと思っている。私は女性だけど若くはないので、若い女性を狙ったセクハラという決めつけにはとても疑問を感じる。

 それに、この人の主催する歌会には男性も何人も参加されているそうだし、実際にお会いしたという人からも、とても優しい人だという話を聴いた。

 確かに、実際に会うまで女性だと思い込んでいた相手に会ったら男性だったら驚くのは無理もないけれど、男性だったんですね!で済む話ではないのだろうか。

 絡んだこともないのにブロックされるというのはとても不快なものだとは思うけれど、そこには何か誤解があったり、事情があるのかもしれない。それを不快と表明するのも自由だと思う。

 けれど、自分が直接被害に遭ったわけでもないのに、噂だけで、この人はこういう人だと悪いレッテルを貼って、その人がSNSでは公開していない秘密まで暴露して拡散するようなことはとても怖いことだと思う。

 偶然、私は今日その秘密を知らされてしまったわけだけれども、今後もSNS上ではこの人を女性だと思って接してゆきたいと思ったし、この人からいただいたアドバイスは貴重なものだったと思っている。