本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

第3回 ベストヒットおとの日♪・12 六浦筆の助さん

 六浦筆の助さんのおとの日のお歌は10首ありましたので、3首ご紹介します。



疲労した吾をまじまじと凝視するキューピーコーワのラベルの睫毛/六浦筆の助

 2021年7月10日・お題「自由詠」


 サプリメントや栄養ドリンクを買う習慣がなくて、思わずキューピーコーワで画像を検索してしまいました。画像を見るまではキューピーちゃんのイラストが描いてあるのかなと思っていたのですが、違っていました。たぶん、正式には、眼精疲労と肩こりに効くタイプのキューピーコーワiプラスのことだと思うんですけど、リアルな人の目と眉毛のイラストが描かれていました。

 確かに、すごく疲れている時にこれを飲もうとしたら、ラベルの人にじっと見つめられているかのような気持ちになるかもしれません。そして、その睫毛の長さや量の多さも気になったのでしょう。

 キューピーコーワの効果はともかく、飲む時についラベルに目がいって、その瞬間は仕事のことも忘れられるだろうから、ラベルのデザインの果たしている役割は大きいといえるのではないでしょうか。

 疲れていても何か面白いものを見つけようとしている主体に好感の持てるお歌だと思いました。




職場でも縦横無尽に動けずに斜に構えてる 俺は銀将/六浦筆の助

 2021年10月3日・お題「好きな将棋の駒」 


 将棋は山崩ししかできないのでルールを全く知らないのですが、そんな私が読んでも銀将という駒の動きもよくわかりますし、面白いお歌だと思いました。

 初句から四句にかけては主体の職場での勤務態度が書かれているのですが、一見、自虐的なようで、一字空けて結句で「俺は銀将」とビシッと決めようとしているところが笑えます。すごく明るい開き直りともいえるし、ちょっとナルシストな感じもします。

 自分で自分の短所を分析できるのはすごくいいことだと思うけれど、だからといって、それを直そうとはしていないというのが伝わってきて、この主体の職場の上司や先輩は、接し方に悩んでしまうのではないだろうかと考えさせられたくらい、主体の強い個性が一首の中でしっかり表現されていると思いました。



寄付という善意の溝は埋まらずに今日もガーナに古着積まれる/六浦筆の助

 2022年4月22日・お題「溝」


 「善意の溝」という表現がとても鋭い社会詠です。

 もう着ないけれどまだ着られるからもったいないという気持ちで、私たちは古着をメルカリやフリーマーケットや古着屋などで売ったり、時には買ったりすることもあるから、きっともっと貧しい国の人たちも喜んでくれるに違いないという思い込みで古着を寄付することもあるのではないかと思います。

 それは日本以外の先進国でも同じようで、特に古着の大きな市場のあるアメリカからの古着の寄付の量がすごいらしくて、最終的な古着の処分場になってしまっているアフリカでは大量の古着が山積みされ、現地でも1枚6円ほどで販売されているので、アフリカで繊維産業に携わる人たちが職を失ったり、アフリカの伝統的な衣料品も危機的状況なのだそうです。そのため、アフリカでは2019年までに古着の輸入を禁止することで合意していたそうなのですが、アメリカがこれに猛反発して、実現できなかったという背景がこのお歌にはあります。

 自分では善い行動だと信じていることが実は相手にとってはありがた迷惑だったということ、このガーナの古着問題だけではなく、いろいろな場面でありそうです。自分を善人だと思いたいがために誰かに負担をかけていないだろうかと、このお歌に心を抉られたような気持ちになりました。