本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第4グループ④松本未句さん

 松本未句さんは、まだ短歌を始められて1年経っていないのだけど、俳句や川柳も作られていたというだけあって、あまり短歌初心者っぽくないお歌が多い印象です。
 これは来月公開予定なんですが、今、佐佐木定綱さんが主催されてる『見えない短歌』という企画に勝手に乗っかって7人の方の架空の評をもとにして短歌を詠んで連作にして『あみもの』に投稿するという試みをしていて、松本未句さんも真っ先に挙手してくださったんですけど、評もすごく上手なんです。架空なのに。
 そんな未句さんのお歌に感想を書くのはとても緊張していますが、今回いちばん心に残ったのがこちらです。


せんそうがはじまったけどぎせいしゃはさんぜんにんをこえていません/松本未句 2019年10月24日「セーフ」

 
 すごいなあと思うのが、「セーフ」というお題で、私から見るとぜんぜんセーフではない究極の状況を詠まれたところです。
 全部がひらがなで書かれているんだけど、私は、ひらがなが多ければ多いほど主体の年齢が幼くなるような気がしていて、このお歌も、小学校低学年の子供の日記の一部なのではないかと思いました。
 子供というのは、まだお金もそんなに持っていないこともあるし、大きな数字を言われても具体的にはどのくらいなのか実感がないものだと思うんです。例えば、鳥山明さんの名作『ドラゴンボール』にスカウターという戦闘能力がわかる機器が出てきたりするけど、フリーザという強敵が
「私の戦闘力は530000です」
なんて言ったりするから、それはすごく大きな数字なんだろうなとイメージはできるし、それ以下の数字のキャラクターは弱いんだなと認識してしまう。このお歌の主体も、そんな感じで、3000という数字が大きな数字だとは思っていないのではないでしょうか。
 また、子供というのは、まだ、あまり、身近な人の死というものを体験していないので、ニュースで自分とは関係ない人の亡くなったことを見聞きしても、他人事で心が痛むことはない場合が多いのではないかと思います。このお歌の3000人の犠牲者の中にも、おそらく、主体の知っている人は含まれていないのでしょう。だから、セーフだと思っている。すごく怖いお歌です(褒めています)。
 幸い、日本は、昭和を最後に戦争をしていない国です。でも、いつまた戦争が起こるかわからない危うい状況ではあると思います。子供たちが、このお歌のようなことを思ったり書いたりするような世の中にしないためにも、私たち大人には課題がたくさんあるなと思いました。