本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

創価学会と私 8

 池田先生は、東京の小平市に小学校から高校まである創価学園を、大阪の枚方市に関西創価学園の小学校を、交野市に中学校と高校の関西創価学園を創立されたので、この東西の創価学園から創価大学に進学してくる学生もかなり多い。

 が、私が見る限りでは、東京の創価学園出身の人たちは人間的におかしい人が多かった。中には、純粋に信仰をし、勉学にも真剣に励んでる子もいたが、勉学を疎かにして学会活動ばかりしてたり、遊んでばかりいたりする東京校出身の子たちが目立ったので、私は、先生の近くで数々の激励を受けて育ってきたはずの子たちが、どうしてこんなふうになっちゃったのだろうか……と、悲しく思っていた。

 逆に、関西創価学園出身の子たちには、本当に尊敬できる子が多かった。私が好きな学会指導の「信心は人一倍、仕事は三倍」の言葉を実践している子が多かったし、放課後にボランティアで毎日キャンパス内の掃除をしている子がいたり、片親の家庭で経済的に苦労をしているという子も関西校出身の子にはけっこういて、彼らは家族思いで優しかった。

 当時、私が自分の父との関係に苦しみフラッシュバックで悩んでいた時に、アリス・ミラーの『魂の殺人』を読むことを勧めてくれたのは、関西校出身で、卒業の時に創立者賞だったというとても優秀な男の子だった。私は、彼のおかげで、初めて、自分が父からされていたことは虐待だったのだと気づくことができたし、この負の連鎖を私の代で断ち切らなければならないと思えるようになった。

 彼は、キャンパス内の生協で1本100円のロールケーキを買い、それが夕飯なのだと笑っていた。母子家庭でとても節約していたようだ。すごく勤勉で、彼の1週間の予定は、単位にならない講義までぎっしり詰まったフルコマだった。

 彼と同じ講義の中に、倫理学があったのだけど、彼は、その中で、自分はゲイであるとカミングアウトした。私が人生で初めて出会ったゲイだった。でも、彼が本当に心優しく、尊敬できる子だったということもあり、私は、それがどうしたの?という感じだった。

 こうして、私の創価大学での1年目は、おかしいと思うことに悩んだりしながらも、尊敬できる同期や先輩にも出会えて、なんとか乗り切ることができたのだった。