本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日・お題「弾」

泣き虫で甘えん坊の弟が頼もしくなるピアノ連弾

 弟がピアノを習い始めたのは4歳の時だった。弟に病的に神経質な面があるのを心配した母が、この子の個性を良い方向に伸ばせる習い事はなんだろう?と考えて、ピアノならいいんじゃないか!と思ってた頃、弟の保育園に出張でピアノの先生がレッスンに来てくださるようになって、母が弟に
「ピアノやってみたい?」
と訊いたら、本人がやりたがったのがきっかけだった。
 母の予想は当たり、弟はピアノと相性が良かったみたいで、練習時間が少ないわりにはどんどん上達し、当時はあまり男の子でピアノを習っている子というのがいなかったこともあり、宮崎ではちょっとした注目を浴びる存在だった。高校生の時にはあるピアノコンクールで九州大会に出場したということで、宮崎でリサイタルに出演したことがある。
 ただ、クラシックピアニストとして食べてゆけるほどの実力はなかったし、本人が目指してたのは指揮者だったので、ピアノ科には進まなかったんだけど、国立大学の音楽科の作曲専攻で学びながらそこでジャズに目覚め、銀座のバーでジャズピアノを弾いたり、自分のバンドを組んで作曲とキーボードを担当したり、あるミュージシャンのコンサートの時のピアニストとしてステージに立ったり……と、しばらくは音楽だけでなんとか生活していた。
 でも、本人が、30歳までに音楽家として一人前になれなければ普通の仕事に就くと決めていたみたいで、今は、趣味でサルサバンドのピアノを弾くくらいになった。もう、今はクラシックは弾けないそうだ。
 私は、そんな弟の初めてのピアノの発表会に感動して10歳でピアノを始めたのだけど、ぜんぜんじょうずにならないし、楽譜は読めないから音符のひとつひとつに全部色鉛筆で色を塗って音を区別していた。
 弟と連弾をする機会も何度かあったんだけど、いつも、難しい方のパートは弟に任せていた。
 弟が趣味でしかピアノを弾かなくなった今も、私が世界でいちばん好きなピアノの音色は、弟が子供の時に弾いていたまるでクリスタルのようにキラキラした粒の揃った音なのである。