本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第9グループ⑧小泉夜雨さん

 小泉夜雨さんはTwitterでも相互フォローになってだいぶ経つし、私が勝手に自慢の親戚の子くらいに親近感を持っている御殿山みなみさんことひざみろさんともご結婚されたことくらいは知っているんだけど、それ以外のことはほとんど知らない不思議な雰囲気の方です。まるで夢の国の住人のような、妖精のような、とらえどころのないふわっとした感じと言えばいいのか、正直、彼女が詠まれてきたお歌の多くにどう感想を言語化したらいいのかわからないものもあります。それでも今までたくさん詠まれてきているので、とても好きなお歌も何首もあって、今回は2首ご紹介したいと思います。



裏アカでフォローしてゐる弟のポエムが妙に刺さってしまふ/小泉夜雨 2018年8月29日・お題「ポエム」

 これは何度か公言していることなのだけど、私は旧仮名遣いの短歌の多くが苦手で、それは現代仮名遣いで詠んじゃいけないの?ただ、目立ちたくて日頃は使いもしない旧仮名で詠んでカッコつけてるだけじゃないの?というような意地悪な読み方をしてしまって、この旧仮名遣いにはよほどの必然性があると感じられる短歌にしか心が動くことはないのだけど、このお歌に関しては、今風に言うならばめちゃめちゃエモい!と感じたのです。

 まず、たぶんこのお歌の舞台はTwitterだと思うんだけど、裏アカでわざわざフォローしているのが弟のアカウントだというのが、かなりヤバイですよね。主体の性別がわからないのでお兄ちゃんなのかお姉ちゃんなのかまではわからないんですけど、たぶん、実生活ではこの弟は思春期で家族に対して反抗的だったりして、主体に対しても心を開いてくれていないのだと思います。普通の兄や姉ならそんなムカつく弟のことは放っておこうとすると思うんだけど、この主体は弟のことが大好きすぎて心配で、わざわざ弟にはバレていないと思っている裏アカを作って弟をフォローしたのでしょう。重度のブラコンだと思います。
 そして、弟はTwitterでポエムを書いているということなのだけど、それが主体には妙に刺さってしまうというのです。同じ家庭環境で産まれ育っているわけだから、いろいろなことに対する価値観や考え方が兄弟(姉弟)で似ているから弟のポエムも妙に刺さるのだということも考えられるし、ひょっとしたら、弟は主体の裏アカの中の人が主体であると気づいていて、主体にも刺さるようなポエムを書いているのかもしれないとも感じました。

 ここで生きてくるのが冒頭でも触れた旧仮名遣いです。これが現代仮名で普通に書かれていたとしたら、ふーん、この主体は弟が大好きなのねで終わっていたかもしれないんだけど、主体が現代の日本において日常では使わない旧仮名でわざわざ創作をするような文学好きの兄や姉だからこそ、弟も実生活では誰にも言わない心の内をポエムで表現するような少年になったのだと考えることもできるからです。また、家族愛というのはいつの時代であっても人類に共通している感情であるということを考えても、このお歌では非常に旧仮名遣いが効果的であると思えたのでした。



走ったら乗れた電車を見送ってわたしいつから頑張れないの/小泉夜雨 2019年7月16日・お題「送」


 電車に乗るために走るということをほとんどしたことのない私は、このお歌を読んでハッとさせられたのですが、この主体は、走ったら乗れた電車を見送っている自分のことを頑張れないと思って責めているとまではいかなくても、そんな自分を嫌だと思っているのだと思います。それは、本当の自分はもっと頑張れるはずの自分だと思っているし、頑張れるものなら頑張りたいと願っているから。自分で自分の可能性をまだ完全にはあきらめてはいないからこそ詠めたお歌だなと思いました。