本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第5グループ⑧久藤さえさん

 久藤さえさんについては、今日からご本人がnoteに書いてらっしゃるこちらの記事を読んでいただくのがいちばんいいと思います。

https://note.com/naekudo/n/n4eeb5a527506

 さえさんは、短歌はブランクがあったとおっしゃいますが、そのご活躍は素晴らしく、NHK短歌で二席、短歌de胸キュンで胸キュン大賞、短歌部カプカプのたんたか短歌でも特選、その他いろいろな投稿で結果を出していらっしゃいます。
 うたの日でも素敵なお歌が多くて迷ったのですが、私個人の事情とも重なって思わず涙ぐんでしまったお歌を紹介します。


きっと父は語らぬだろう長髪とフォークギターを捨てた日のこと/久藤さえ 2019年6月16日お題「父」


 このお歌の主体のお父様が、私は、どうしても自分の弟の人生と重なってしまって、胸が締め付けられそうになりました。

 私の弟は、4歳からずっとピアノを習っていて、高校生の時に指揮者になりたいと言い出して東京藝術大学の指揮科を受験して落ちて、翌年、関東にある国立の某大学の教育学部の音楽科に入学しました。クラシック音楽だけを学んできた弟が、大学でジャズやロックに出合ったことで方向転換し、銀座のジャズバーでピアノを弾くアルバイトをしたり、自分のバンドを組んで作曲とピアノを担当したり、某ミュージシャンのコンサートのピアニストとして出演したり、なんとか音楽活動だけで食べていたんだけれど、奨学金の返済もあるという理由で30歳になった時に、プロとしての音楽活動をやめて、就職しました。最初は某音楽事務所で働いていたんですけど、あまりにも激務で休みもなく毎日帰りが終電になるということで、退職し、普通の会社に転職し、結婚しました。子供も生まれました。ピアノは趣味では弾くみたいですが、音楽で生きてゆく夢は完全に捨てたように見えます。

 このお歌に戻りますが、主体のお父様も、きっと、フォークが大ブームの頃に、当時の流行だった長髪で、ギターを弾いて歌ってらっしゃったのでしょう。もしかしたら、本気でプロを目指したりもしていらしたのかもしれない。主体が、お父様がフォークをやっていらしたことを知ったのは、昔のアルバムを見たり、祖父母から話を聴いたからなのかもしれません。
 でも、長髪とフォークギターを何らかの事情で捨てた日のことをお父様自身の口からは聴けないだろうと主体は思っています。おそらく、お父様は、自分のやっていたフォークを今はぜんぜん聴こうともしないのかもしれない。先述の私の弟は、今2歳の息子が音楽をやりたいと言い出したら全力で止めるなんてことを言っていますが、主体のお父様も、音楽に青春を捧げてきた時間に後悔があるのかもしれない。その後悔を埋めるかのように、家庭を持ってからの人生は、常に良き夫として、良き父として振る舞っていらっしゃるのではないかな?と思いました。
 主体もお父様が音楽に熱中していた頃の話を聴きたいのかもしれないけれど無理に聴こうとはしない、父と子の距離感がいいなあと思うお歌です。