本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

計画失敗

 2018年9月16日に死ぬつもりで、少し前から準備を進めていた。

 そのために、昨日までに出せる短歌は出し尽くし、うたの日にもお別れのご挨拶を書いて、ごく一部の親しい人たちと好きな人にも別れを告げて、最期の食事をし、深い眠りについた状態で安らかに死ねるように、睡眠薬をあるだけ飲もうとした瞬間に、玄関のドアを何度も激しく叩く音がした。制服の警察官がふたり立っていた。21時過ぎだった。

 警察官は、最近Twitterで10年ぶりに再会した私の大学の後輩の名前を出し、彼女から110番通報があったと告げた。数時間前まで、私の死にたい気持ちを尊重してくれていたのに、彼女は私が死ぬことを怖れて、通報してしまったようだった。せっかく、死のうとしていたのに……と思ったけど、彼女は善意でやってくれたことだから、彼女を責めるわけにはいかない。

 そこからは、私と警察官との戦いだった。自殺の動機を訊こうとしてくるけれど、警察にそれを話してしまうわけにはいかない。

「プライベートなことですし、私だけの問題ではないので絶対話したくありません」

と粘った。すると、警察官も

「署でお話を聴かせてくださいよ」

と言ってくる。最初はふたりだった警察官が4人、6人、8人……と増えてゆき、別の警察官からも電話がかかってきた。

「私はあなたのような人のことを理解するためにいろいろ勉強をしている者です。あなたとお話がしたい」

と交渉してきたけど、私は断った。しばらく、玄関先で最初に来た警察官がずっと私を説得してくる。近所の人たちも窓を開けて何事かと騒ぎ始めた。私は、

「いきなり周囲に何の配慮もなく押し掛けて、タメ口で話すような人を信頼できるわけがないじゃないですか。絶対に嫌です」

と、粘り続けた。すると、先ほど電話で話した警察官と女性の警察官もやってきた。彼らは

「署の方に行くのを拒むのなら、強制的に来ていただくことになります。自分から行くのと、強制的に連れて行かれるのとどちらがいいですか?」

と、どちらにしても、警察に行くしかない2択を突きつけてきた。私は、

「そんなの脅迫じゃないですか」

と言うと、電話でも話した警察官が

「人の命がかかってるんだ!脅迫じゃない!」

と声を荒げた。これ以上は、強制的に連れて行かれる……と思った私は、

「じゃあ、こんなに大勢の人に囲まれてると嫌なので、ふたりなら行ってもいいです。それから、自殺の理由は訊かれてもお答えしません」

と言ったら、女性の警察官が

「いいですよ。でも、安全確認のためにもうひとり乗らないといけないんですけど、3人でもいいですか?」

と答えたので、頷いた。貴重品を持って出るように言われたが、

「貴重品はないので」

と、財布もスマートフォンも家に置いたまま、そのまま、玄関から出た。これは、スマートフォンに残るいろいろな履歴から、私のプライベートな人間関係を探られたくないと咄嗟に思ったからだった。

 移動中の車内で電話がかかってきて、私のスマートフォンについて訊かれたようだったが、

「本人が持ってきたくないと言っているので」

と、男性の警察官が答えてくれてホッとした。

 警察署につくと、生活安全課の中の小部屋に通され、まず、女性警察官にボディーチェックをされた。彼女は、私がノーブラであることにちょっと動揺していた。

 そこから、名前や生年月日や、いつから今のアパートにいるのか、いつ上京してきたのかなど訊かれて、正直に答えた。何故か、身長と足のサイズと血液型まで訊かれた。

 それから、しばらく待たされている間に、向こうの方で、警察が、母と弟に連絡している声が聞こえてきた。玄関先で私を説得していた警察官は、

「このままじゃ、ご実家に連絡することになりますので、署に来てください」

とも言ったのに、なんて嘘つきなのだろうかと失望した。

 それから、母と電話で話をするように言われた。母は、

「今日は西郷どんの後に電話がないからどうしたっちゃろうと思ってたとよ!びっくりしたよ!」

と、言いながら、普通に世間話をして私を笑わせてくれた。そして、

「直美ちゃんはお母さんの生き甲斐やとよ。元気でいてくれんと困るよ。お母さんは、老後に直美ちゃんと暮らすのが楽しみなのに。これは、症状のひとつやから、大丈夫。絶対乗り越えて、ステップアップできるよ」

と言った。

 警察官は、

「こういう命がかかっていることだから、ご家族に連絡しないわけにはいかない。ごめんなさい。あなたをひとりで帰すわけにはいかないので弟さんにも連絡しました」

と説明した。結局、自殺の動機については質問されずにすんだ。

 それから、弟が私を迎えに来てくれた。弟には激怒され、終電も無くなっていたので、居酒屋とコンビニ前のベンチで始発までずっと叱られたり、将来を心配されたりしていた。4時間くらい話しただろうか。実家に住んでいた時も、弟とこんなに長く話したことはなかったと思う。

 警察でも、弟にも、今後は死にたいという思いがわいたら前向きな考え方をするようにと言われたのだが、前向きな考えができる人は、そもそも、死にたいなんて思わないと思う。だから、約束はできないけれど、ひとつ学んだのは、次に死にたいと思った時には、誰にも打ち明けずに、ひっそり死ぬしかないなと思った。

 というわけで、私は、今、生きている。ご心配をおかけした皆様には申し訳ないと思っているけれど、今の私には生きる希望がない。だから、また、死にたくなると思う。この辛さを抱えたままこれからも生きてゆかなければならないのかと思うと、苦しい。とても。