本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

鍵っ子は母のしっぽになりたくて夜が来るのを待ちわびている

 

 

 私のいちばん古い記憶は2歳くらいの時の記憶だが、その頃からずっと母は働いている。

 自宅がクリーニング屋だった頃は常に母が店にいたのでぜんぜん寂しくなかったが、父が友人の借金の連帯保証人になり、クリーニング屋が担保だったために潰れてしまってからは、母はいろいろな仕事に就いた。伯父の経営するスーパーのレジ、ロッテリア、繊維工場のお針子、建設会社の事務、コールセンター、社長秘書など。

 日曜日は休んでいたが平日も土曜日も朝から晩までフルタイムで働いていたので、私は小学校2年生から鍵っ子だった。

 学校から帰宅すると、保育園に弟を迎えに行き、宿題をして、弟と幼なじみとしばらく遊んで、幼なじみの家の夕飯の時間になると、家で弟とふたりで留守番をする。今思えば、ほんの数時間なのだけど、母が帰ってくるまでの時間が気が遠くなるほど長かった。

 母が玄関の扉を開けると、私はずっと母の後ろにくっついて歩いて母に話しかけるのをやめなかった。学校であったこと、どんな勉強をしたか、「よみごえ」という国語の教科書の朗読を家族に聞いてもらう宿題など、母との会話は就寝寸前まで続いた。

 私がずっとこんな感じだったから、母は、自分ひとりの時間というものを持てなかったのではないだろうかと思う。外でも働き、家でも誰よりも早く起きて家事や炊事をしていちばん最後に寝て。でも、それを母は自己犠牲だとはちっとも思ってなくて、いつも笑ってて。

 母という存在は本当に偉大なものだなと思う。