本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第6グループ⑨つだみつぐさん

 つだみつぐさんがうたの日に登場されてからすぐ、Twitterの私のタイムラインでは、つださんの話題で賑わっていました。つださんは、お歌を詠まれるだけではなくて、評も丁寧に書いてくださる方で、その内容もとても素敵だったので、ファンが急増したのです。
 つださんのお年が70代だと知ったみんなは、信じられない!お歌がとても若々しい!!と騒然となりました。私の父も72歳でつださんと年齢的にはあまり変わらないけれど、つださんのお歌も評も実にしなやかだし、可愛らしさもあるし、優しいし、この世代の男性は男尊女卑の傾向にある人も多いけど、つださんは、女性に対して敬意を払ってくださっているのがツイートからもよく伝わってきます。
 そんなつださんのお歌は、恋のお歌なんかも素敵なんですが、今日はこちらのお歌を選びました。


あんなにもケチだった父がバス停で何も言わずに手渡す五万/つだみつぐ 2019年5月23日お題「けち」

 
 このお歌は、思わず、この主体のお父様が自分の父と重なってしまって、涙がこぼれました。
 たぶん、主体は、今はもう親元を離れて暮らしているのではないでしょうか。お盆の頃かお正月の頃かはわからないけれど実家に帰省していて、最終日に今の住まいに帰るために自宅近くのバス停でバスを待っている場面だと思います。その見送りに、主体のお父様が来てくださっていて、何も言わずに五万円を手渡したことに主体は驚いています。あんなにもケチだったのに、と。
 私は、実家がとても貧しかったので、高校を卒業して親元を離れるまでは、おこづかいも1ヶ月千円でした。本だけは好きなものを買ってもらえましたが、家にないお菓子はおこづかいから買わないといけないし、友達と遊びにゆくこともほとんどできません。貧しいのはわかるけど、なんてケチな両親なんだろうかと不満に思ったこともあります。おそらく、主体のお父様も、主体と同居している間はそんな感じだったのではないかなと思います。
 でも、いざ、親元を離れてみると、たまに地元の美味しいものが段ボール箱いっぱいに届いたり、夏にはマンゴー、冬には不知火……と、我が家には分不相応な程の高級な果物が届いたり、帰省した時には、高級食材をふんだんに使った贅沢な料理が狭い食卓いっぱいに並んだり。大切な客人をもてなすかのように接してくれるのです、昔はあんなにケチだった両親が。このお歌でも、きっと、お父様が渡してくれた主体にとっての五万円というのは、大金でしょう。主体が作者のつださん自身の若い頃だとすると、当時の五万円は今よりももっともっと大金だったはずです。それを黙って渡してくれたというところに、子を想う親心の強さを感じます。
 本当は、お父様も、主体に対して話したいことはいっぱいあったのかもしれない。でも、口を開けば、またしばらく主体の顔が見られないのがたまらなくて、たぶん泣いてしまうから、何も言わないのでは言えなかったのではないかと思います。
 ここまで書きながら、また、涙が溢れて止まらなくなりました。心を大きく揺さぶられるお歌でした。