本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第8グループ⑦薊(五月雨薊)さん

 五月雨薊さんは、薊さんと名乗っていらした頃はよくうたの日でご一緒して、うたの日デビューも2016年12月でほぼ同じ頃なので同期生として親近感があるのだけど、Twitterではほとんど絡みがないので、黒猫のアイコンがとても可愛いということくらいしか存じ上げていないのもあって、純粋にお歌だけを読んで選ぶことができました。


あのひとはうつくしいのにひとりきり人魚の肉を食べたせいだよ/薊 2017年4月22日・お題「人魚」

 童話のような不思議な美しさのあるお歌なんだけれど、後味が悪くてすごく怖いなあと思いました。
 主体とあのひとの関係性はよくわからないのだけど、たぶん、主体の住むコミュニティにあのひとも住んでいて、あのひとの印象は最初にうつくしいと出てくるくらいだから、そうとうな美貌なのだと思います。でも、そんなにうつくしいひとなら誰からも好かれそうなものなのに、ひとりきりだというのです。主体も、あのひとはうつくしいと思っているのに、あのひととは関わらないようにしているから、あのひとはひとりきりなのでしょう。
 あのひとがひとりきりである理由として、人魚の肉を食べたせいだよと言い切っているのですが、主体はその現場を目撃したのでしょうか?たぶん、そうではなく、主体のコミュニティで噂されていることなのではないかなと思います。
 きっと、あのひとの美貌がこの世の人のものとは思えないくらいのものなので、あんなにうつくしくなるためには不老不死の伝説のある人魚の肉を食べたのに違いないという決めつけなのではないでしょうか。その決めつけは、あのひとのうつくしさに対する嫉妬が引き起こしたものでしょう。
 それがまるで真実であるかのように、人々は噂をしているけれど、あのひとは、それを肯定も否定もしないのです。そんな噂をする人たちへの恐怖や軽蔑もあるのかもしれません。もしかすると、あきらめなのかもしれません。噂を無視してひとりで静かに暮らしているのだと思います。
 このお歌の怖さは、この主体と同じように、よく知りもしない人に対する差別や偏見があなたにもあるのではないですか?と読者に投げかけられているかのような気持ちになることではないでしょうか。まるで、自分自身を試されているような気がしました。
 童話には教訓があることが多いですが、このお歌も読者に深く考えさせる力のある1首だと思います。