本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

第6回 ベストヒットおとの日♪・29 睦月雪花さん

 睦月雪花さんのおとの日のお歌は18首でしたので、3首ご紹介します。

 



身も骨も食べてしまえる人だからわたしの狡さも見ないふりした/睦月雪花

 2022年4月24日・お題「骨」

 

 思わずドキッとしてしまうお歌なんですけど、解釈が分かれそうだなとも思いました。

 

 「身も骨も食べてしまえる」食べ物として頭に思い浮かぶのは小骨は多いけどよく噛めば飲み込めそうなお魚か、鶏肉や豚肉などの軟骨の部分くらいなんですけども、骨まで食べる理由として考えられるのは、いちいち骨を取り除くのが面倒臭いからか、骨まで食べることでカルシウムも摂れるからか、生き物の命をいただくからには骨まで残さずに完食したいからなどなのですが、このお歌の人がどんな理由で骨まで食べるのかによっても、お歌のイメージが変わってくるのが面白いと思います。「食べてしまえる」とあるのも、主体がこの人に対して抱いているのが敬意なのか、それとも引いてしまっているのか、どちらにも解釈できるのも面白いです。

 

 明確なのは、主体が自分の狡さを自覚しているということなんですけど、こういう自分の弱い部分や醜い部分から目を背けずに正直にお歌にできる作者さんに私はすごく好感を持っています。果たして、主体は、そんな自分の「狡さも見ないふりした」人に対して、感謝しているのでしょうか?それとも不信感を持っているのでしょうか?最初から最後まで、ずっと読者が試されているような気持ちになるお歌でした。

 

 


もういない人を星にはたとえない 過去の光にまだしたくない/睦月雪花

 2022年4月27日・お題「別」

 

 亡くなった人が星になるという言い伝えは昔からありますけれども、その人が身近で大切な人であればあるほど心の中にずっと生き続けるので、ものすごく共感できるお歌でした。

 

 特にすごいなと思うのが下の句なんですけども、私たちの目に見えている星の光はすべて過去のものであって、昔の旅人がコンパス代わりに頼りにしていた北極星でさえ、400年前の光を見ているんですよね。だからまだ亡くなった人を過去の光になどしたくないという想いは痛いほどよくわかります。

 

 もしかすると「まだ」とはいうのものの、主体がもういない人を星にたとえる日なんてこの先もずっとないのかもしれないけれど、こういう部分で頑なであること、譲れないもののあることって、大切なことだと思うので、主体にはありのままでいてほしいなあと思いました。

 

 


じゃりじゃりとザラメを噛んだ 傷ついた人がいるから成り立つ平和/睦月雪花

 2022年8月9日・お題「カステラ」

 

 うたの日の管理人のののさんは心から平和を願っている人なので、毎年8月6日は広島、8月9日は長崎、15日は終戦記念日に関するお題を出されているんですけど、この日は長崎のお題尽くしの一日でした。

 

 好みにもよりますが、カステラはザラメの部分があるから食感の違いが楽しめて美味しいと思っている人は結構多いのではないでしょうか。このお歌も、カステラのザラメの描写だけをしていることがすごく効果的だと思います。どう効果的かというと、最初にこの部分だけを読んだ時と、最後まで読んだ時とでザラメの食感の印象が変わるのです。最初はなんて美味しそうなカステラだろう!と思いながら読む人がほとんどではないかと思いますし、私もそうでした。

 

 ところが、一字空けの後「傷ついた人がいるから成り立つ平和」と言い切られることによって、頭を鈍器で殴られたかのようなショックを与えられます。私たちは今普通に美味しくカステラを食べることのできる平和な世の中に生きているけれど、このカステラの生まれ故郷である長崎には原子爆弾が投下されて多くの命が犠牲になり、今もなお被爆の後遺症に苦しみ治療中の方々がいらっしゃる現実を突き付けられるからです。そのことに気付かされた時、最初は美味しそうだったザラメのじゃりじゃりとした食感も、砂を噛んでいるかのような食感のように錯覚してしまうのは私だけでしょうか。

 

 すごく残酷な現実ではありますけれども、戦争を体験したことのある世代の方々もどんどん亡くなり、やがて誰もいらっしゃらなくなることを考えても、このお歌にはすごく大切なメッセージが込められているし、ずっと憶えていたいとも思いました。