本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第7グループ⑥ちいたら子さん

 ちいたら子さんは、筆名が可愛らしいなと思う方のひとりで、懐かしい感じもするなと思ったら、字の並びがちびまる子ちゃんと似てるからかもなあなんて考えていました。
 うたの日デビューが今年の8月で、まだそんなにお歌の数はないんですけど、とても好きなお歌がありました。


友だちじゃない恋人じゃないきみにとってわたしは唯一じゃない/ちいたら子 2019年9月27日お題「否定文」


 このお歌は、句またがりがこれでもか!というくらいたくさん出てきて、ぜんぜん整ったお歌ではないのです。でも、この歪な感じといい、ない、ない、ないと畳み掛けてくる構成といい、すごく、主体の心情を表現できているなと思うのです。
 主体にとっては、きみは唯一の好きな人なんだと思うのだけど、きみにとっては、主体は、恋人どころか、友だちですらないというんですね。恋人が無理なら友だちでもいいから、きみにとっての唯一の存在になりたいのに。
 私も、この主体と似たような片想いをずっとしていたから、共感しかなかったです。
 徹底的に自分という存在をきみに否定されて、主体はこれからどうしたらいいのでしょう。このまま辛い片想いを続けるのか、それとも彼とは距離を置くのか。どちらにしても、主体が悔いのない選択をして幸せになってほしいなと思いました。
 
 

今日の歌

東京に魂を売るつもりではないがたまには切り餅もいい/澪那本気子


 今日は寒かったから、おやつにぜんざいを作った。
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 基本的に、私の生まれ育った宮崎ではお餅は丸いものだから、上京してからも切り餅はめったに買うことがなかった。でも、この切り餅が安かったのと、切り餅は、フライパンで焼いて、バター醤油で味つけして、海苔で巻いて食べるのにとても巻きやすい形だから、便利だなとは思うので。

うたの日の100人の短歌・第7グループ⑤松岡拓司さん

 松岡拓司さんは、新聞歌壇や埼玉文芸賞など数々の投稿をされている方で、わたしの高田松原コンクールで入賞されたりしていらっしゃいます。
 うたの日にデビューされたのは私の4ヶ月ほど前なのですが、松岡さんは、とても美しい、けれど歌意を読み取るのが難しいお歌を詠まれる方で、私がめったに♪もいただけない、近藤芳美賞の受賞者の太田宣子さんのハートをたくさん送られている方でもあります。小説でいうなら私の歌は素人が書いた大衆文学なのだとしたら、松岡さんのお歌は純文学的なお歌で真逆なのです。絶対に私にはこんなふうには詠めないなあというお歌を詠まれます。


ごめん、もうプラトニックじゃ無理なんだ 雨、モノクロになる遊園地/松岡拓司 2017年8月12日お題「遊園地」


 このお題でそうきましたか!と驚きました。
 上の句は主体の告白です。おそらく、主体は、好きな人と何度かデートをしているのでしょう。でも、それはプラトニックな関係で、キスはおろか、手も繋いでいないのかもしれない。でも、今の関係から、もっと進んだ恋人同士の関係になりたいという想いを、相手に伝えたのです。遊園地で。それは、もしかしたら、ふたりきりになれる観覧車の中でだったかもしれません。
 次の一字空けはとても効果的だと思います。この一字空けの間に相手の返事があったと想像できるからです。
 そして、雨。この雨は、実際に降りだした雨なのか、それとも、主体の心の中に降りだした雨なのか。カラフルなはずだった遊園地が、主体にはモノクロに見えます。それはたぶん、相手の返事が友達以上にはなれないというものだったから。雨は、もしかしたら、主体の涙なのかもしれません。
 遊園地という楽しい場所を舞台にして、こんなにも辛く哀しい失恋のお歌を詠むことができるのだなあと感動しました。
 「、」の使い方も、主体の息づかいが感じられて好きです。


 

うたの日の100人の短歌・第7グループ④朝野陽々さん

 朝野陽々さんは、うたの日を始めてまだ1年なんだけれど、首席率では大きくリードされているし、好きなお歌も多く、期待の歌人だと思っています。
 まず、朝野陽々っていう筆名がとても好きです。本名なのか筆名のために考えられた名前なのかはわからないけれど、とにかく明るくて希望に満ちている感じがします。陽々さんが今後歌集を出版することがあったら、短歌を知らない人でも、この人の書いたものを読んでみたいと思わせることのできるほどの筆名だなと思うのです。
 お歌は、圧倒的に恋のお歌がとてもいいと思っています。好きなお歌がありすぎるんですけど、2首引かせていただきます。


Fコードくらいきれいに鳴らせなきゃいやだよ、きみはセックスが下手/朝野陽々 2019年6月28日お題「SEX」


 Fコードは、ギターかベースかわからないけれど、たぶん、弦楽器のFコードだと思います。Fコードって、楽器初心者がいちばん躓くコードだと言われていて、最初はFコードのない曲を選んで練習するものらしいですね。でも、この主体は、Fコードくらいきれいに鳴らせなきゃいやだときみに要求しています。
 おそらく、主体は女性なのではないかと思います。指の動きが器用な人のテクニックでなら気持ちのいいセックスができるから、初心者が苦手なFコードの練習くらいしてから自分とセックスしてほしい、もっと努力をしてほしい、セックス初心者のままでいい気にならないでほしい、という心情の表れだと思うんです。遠回しに言っても、きみがなかなか理解してくれないのか、結句ではっきりセックスが下手って言い切っちゃってるけど。
 こう言われたきみは、ひょっとしたら、立ち直れないくらいショックを受けたりするかもしれないけど、主体はたぶん、今はきみのセックスは下手だけど、私のことをちゃんと好きなら、上達するように頑張ってくれるという確信があるんじゃないかなと思うんです。だから、具体的に、Fコードのヒントを出してあげたのだと。
 恋愛にはお互いの努力も必要だよなあ、と思いました。


不器用な恋をしている校庭の姿勢の悪いひまわりが好き/朝野陽々 2019年7月30日お題「悪」


 一読して、なんて優しいお歌なんだろうかと思いました。
 姿勢の悪いひまわりというのは、主体の好きな人のメタファーなのでしょう。彼女は、自分にあまり自信が持てないタイプなのか、姿勢が悪く俯いているんだけれど、主体から見るとひまわりのように明るい笑顔の女の子なのではないでしょうか。彼女をいつも見つめている主体には、彼女が不器用な恋をしているのがよくわかるのでしょう。普通のひまわりがまっすぐに太陽を見つめるのとは違って、彼女はきっと好きな人をこっそり見つめているのではないでしょうか。
 そして、不器用な恋をしているのは、姿勢の悪いひまわりのような彼女だけではなく、そんな彼女に想いを寄せる主体もなのです。
 片想いのせつなさと美しさがよく表現された大好きなお歌です。

うたの日の100人の短歌・第7グループ③あまがっぱさん

 あまがっぱさんは、私と住んでいるところが近いので、何回か近所でお会いしています。文章を手書きされるのが好きな方で、その内容によって筆記用具も変えたりされるこだわりがあり、短歌も、手書きすることを想定して詠まれているといいます。私の歌も何度か彼女の美しい手書きで書いていただいたことがあって、不思議と、自分の歌がもっといい歌に見えるような気がしてありがたかったです。もしも、あまがっぱさんがネットプリントや歌集を出される際も、手書きのものにされるといいなあなんて思っています。
 あまがっぱさんのお歌は、歌意のわかりやすい素直なお歌が多いです。そして、うたの日で読んだ時には♪も投票しなかったんだけど、後で手書きされているのを読むと、ああ、こんなにいいお歌だったのか!と気づかされることも多々あります。
 今日引くお歌も、きっと、手書きだったらもっと好きになれるお歌かもしれません。


ドア越しに聴いた寝息が健やかで重い疲れは空気に溶けた/あまがっぱ 2018年11月18日お題「ドア」


 主体には、一緒に暮らしている家族、または恋人がいるのでしょう。仕事に疲れきって帰宅したら、ドア越しに一緒に暮らしている人の寝息が聴こえてきて、主体の重い疲れは空気に溶けるようになくなってしまったという歌意だと思います。
 寝息が健やかというところを見ると、ひょっとすると、一緒に暮らしている人は、何かの病気なのかもしれません。でも、主体には仕事があるからつきっきりで看病することはできず、後ろ髪を引かれるような思いで玄関を出てゆく。帰宅すると、寝息が健やかでよく眠れているようでホッとして、それまでの仕事の疲れや心配もすべて空気に溶けたと思えるくらいに消えたのではないでしょうか。
 自分も重い疲れを感じるほど大変なのに、誰よりも一緒に暮らしている人の健康を気にかけているのが伝わってくる、とても優しいお歌だと思います。

うたの日の100人の短歌・第7グループ②宮坂変哲さん

 宮坂変哲さんは、タイに住んでいらっしゃる方で、よく、美味しそうなタイ料理をツイートされていて、食いしん坊な私はとても楽しみにしています。
 うたの日にもタイから参加されていたんだけれど、ある日突然、海外のサーバーからはうたの日に接続できなくなってしまったのだそうで、泣く泣くお休みされています。今後、解決するといいですよね。
 変哲さんは、俳句を詠まれる方だけど、短歌も俳句的というか、スパッと意味の通ったまっすぐなお歌が多いように思います。


なぁ娘パパが死んでも少しだけ泣いたらあとは笑って過ごせ/宮坂変哲 2017年12月10日お題「自由詠」


 このお歌が題詠ではなく自由詠というところがとてもいいなあと思うのは、お題の言葉があったから考えることができたお歌ではなくて、自分が本当に詠みたくて自然にできたお歌がこのお歌だったというのは、泣けます。
 変哲さんには可愛い娘さんがいらっしゃるんですけど、変哲さんにとっていちばん大切な存在が娘さんなのだということがよく伝わってきます。
 もし自分が死んだら、娘には哀しんで泣いてほしいという気持ちはあるけれど、それは、少しだけでいい。あとはずっと笑って過ごしてくれることが父としての願いだというのです。
 もし、将来、変哲さんにもしものことがあって、娘さんがこのお歌を読むことがあったら、娘さんは号泣されることでしょう。そして、こんなに優しくて素敵なパパの娘に生まれてくることができて、本当に幸せだと感じると思います。このお歌を支えにして、笑って生きてゆかれると思います。
 そのくらい、心を揺さぶられた家族詠でした。

うたの日の100人の短歌・第7グループ①あおきぼたんさん

 あおきぼたんさんとは、うたの日デビューが1日違いの同期で、彼女がいっくんママと名乗っていた頃から仲良くさせていただいています。8歳と3歳の男の子のお母さんでもあり、いっくんは、上のお子さんです。いっくんが実に聡明で面白い男の子で、どんな育児をしたらこんなに素晴らしい子が育つのだろう!と感心しているのですが、夏休みには、いっくんもうたの日に出詠されていたことがありました。
 俳句も詠まれるぼたんさんのお歌は、色や音が詠み込まれているものが多かったり、家族詠も、恋のお歌も、自然を詠まれるのも上手だなあと思っています。いつかお会いして歌会をしたい方のひとりです(数年前にそのチャンスがあったのに、私がインフルエンザでお会いできなかったのです)。
 初期の頃は同じお部屋に出詠していることも多かったので、けっこう♪やハートを送ったお歌が多かったのですが、最近は別のお部屋にいることがほとんどなので、新鮮な気持ちでお歌を拝読しました。特に好きな2首を引かせていただきます。


母よりも義母が正しいこともあるシフォンケーキはちぎって食べる/あおきぼたん 2018年3月7日お題「昨日の題からどれでも」

 
 うたの日では、毎月7日がラッキー題の日となって、いちばん上のお部屋で「昨日の題からどれでも」というお題が出されるようになりました。ぼたんさんが、どのお題を選ばれたか前日のお題を見てみると、「大好物」というお題があったので、お題は詠み込まれていないけれど、おそらく、このお題で詠まれたお歌だろうと思います。
 まず、上の句にドキッとさせられます。自分を産んで育ててくれた母よりも、血の繋がらない他人である夫の母である義母の方が正しいこともあると断言しています。それはどういう点なのかというのが明かされているのが下の句なんですが、シフォンケーキはちぎって食べるということだとわかって、ホッとします。
 主体のお母様は、シフォンケーキをフォークで食べる人なのでしょう。逆に、夫の母である義理のお母様はシフォンケーキをちぎって食べる人で、シフォンケーキが大好物である主体も、ちぎって食べた方が美味しいと思っているのです。
 私の持論として、胃袋の相性のいい人とは仲良くなれるというものがあるのですが、主体と義理のお母様もそうなのではないかと思います。他人の家に嫁ぐということは、いろいろな悩みもあるかもしれないけれど、大好物のシフォンケーキの美味しい食べ方が義理のお母様と一致したというのは、主体にとっても心強かったのではないでしょうか。
 それに、このお歌には、フォークでシフォンケーキを食べていた人まで、ちぎって食べてみたいと思わせる魅力もあります。母よりも義母を正しいと言い切っているから、ちぎって食べるシフォンケーキはそんなに美味しいのか!と思うのです。
 

お兄ちゃんだから我慢をしてなんてきっとマリオは言われていない/あおきぼたん 2018年9月1日お題「我慢」

 マリオは、任天堂のゲームのマリオシリーズのマリオのことでしょう。マリオは双子で、弟のルイージ(たぶん、類似から名付けられたのかな?)がいます。
 同い年の双子だから、マリオは「お兄ちゃんだから我慢をして」と言われなかっただろうというのもあるだろうし、もし、そんなふうにマリオが育てられていたら、ピーチ姫を助けるためとはいえ、何者も怖れずに勇敢に冒険をできるような大人にはならなかったかもしれません。冒険したいという気持ちはあっても、他人の顔色を窺ってしまうから。
 主体は、ぼたんさん自身であると仮定した時、おそらく、育児で長男に「お兄ちゃんだから我慢をして」と言いたくなる場面があったのかもしれないなと思いました。でも、それをグッとこらえて、のびのびと育てようと思い直したのではないでしょうか。
 このお歌を、子供の頃に「お兄ちゃんだから我慢をして」と言われて育った人の回想としてではなく、今、育児に奮闘中のお母さんであるぼたんさんが詠まれたということが尊いなと思うし、こんなお母さんに育てられる子供たちは幸せだろうなあと思うのです。