本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

君宛ての遺書を書いては捨てて書き何度でも泣く女優のように

 

 私は子供の頃から涙もろくて、国語の授業中に朗読しながら泣いてしまうようなことが毎年あった。国語の教科書って、必ず戦争の話が載ってるので、どうしても泣いてしまうのだ。あと、泣くといえば『ごんぎつね』もだけど。

 だから、小学校の卒業式の時なんて、男子たちが

「俺、小島が泣く方に500円!」

とか、賭けられてしまうくらいに、私がよく泣くことは知られていることだった。

 この涙もろさは、中学時代の演劇部ではとても役立った。台詞に感情を込めるだけで、自然に涙が溢れ出すからだ。よく、子役さんなんかが、泣くシーンでは自分の母親が死んだことを想像しているなんて言うけど、私は、脚本の中の登場人物として涙を流すことができた。

 短歌を詠んでいても、たまに、自分の歌で泣くことがある。私の歌は、自分の過去の記憶をそのまま歌にしていることが多いので、悲しかったことを歌にすればその時の想いも甦るし、泣けて仕方ないのだ。本当は、読者よりも作者が泣いてしまうなんてよくないことなんだろうけども。

 遺書は、親元を離れて上京してから、毎年、書き初めがわりに新しいものを書くことにしているのだけど、今年は、ずっと死にたいという気持ちと戦っているから、何度も何度も遺書を書いている。そのたびに、号泣して頭が痛くなるくらい、想いを込めて。

 私が死にたいなんて思うのは、小学校でいじめられていつもカッターナイフを持ち歩いていた(当時はリストカットすれば死ねると思っていた)以来のことで、病気も10年かけて治療してきてかなり良くなってきていたのに、急激に悪化したことに自分でも戸惑っているけれど、どうしたら、この辛い気持ちが消えてくれるのかわからない。