本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第8グループ⑥しま・しましまさん

 しま・しましまさんは、未来短歌会に所属されています。短歌も俳句も詠まれる方です。児童文学にもとても詳しくて、短歌でも詠むだけではなく読む方もとても丁寧に読み取ってくださるし、洞察力の優れている方だなあと尊敬しているうたの日の先輩です。絵も上手な方だからか、お歌にも観察力の光る絵画的なものが多いなという印象があります。
 今日は、そんなお歌を2首引かせていただきます。


すそにまだカールの残るカレンダーめくって春を確かめてみる/しま・しましま 2016年1月14日・お題「暦」

 それを短歌にされたんですか!と思わず膝を打ちました。
 カレンダーを買いたての時というのは、くるくる巻いてあるカレンダーのカールが気になるものですけれど、毎日使っているうちに忘れてしまうものだと思います。でも、この主体は、おそらく、2月のカレンダーをめくる時に、カレンダーのすそにまだカールが残っていることを見逃さないのです。これが3月や4月だとたぶんもうカールは残っていないし、カレンダーを買ってまだそんなに経っていない時にしかできない小さな発見です。それをめくると、カレンダーには春らしい絵や写真が載っていて、もう春なのだなと実感できる。「確かめてみる」という結句も、春であることを確認できた喜びがじんわり伝わってきて、とてもいいなあと思います。


ひとりでにひらく紙ふた三分のくらさにがまんできない海老だ/しま・しましま 2016年6月30日・お題「カップラーメン」

 このお歌も丁寧に描写されていて、誰もが、フリーズドライの海老の入ったカップヌードルを思い浮かべことができると思うのですが、初句から二句にかけての状態を見逃さないのがすごいなと思うのです。確かに、カップラーメンというのは、どんどん紙のふたがめくれてくるから、最近のカップヌードルにはふたが剥がれないように貼るシールもついていたりしますよね。
 三分という時間を詠み込んだことで、カップラーメンというお題を入れなくてもカップラーメンのことだとわかりますし、紙のふたがひとりでにひらく理由として、海老が三分のくらさにがまんできないからという発想もとても面白いです。海老、乾燥されててもお湯で戻るから、まるで生き返って意思表示をしているかのような。
 まるで、子供と家でカップヌードルを作る時に、お母さんが子供に優しく語りかけてあげているかのような雰囲気もあるなと思いました。