本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

今日の自由詠

邪魔ですか受信拒否までするなんて「冗談です」と言ってください

 今日のうたの日の「じゃじゅじょ」で、全部で3首考えたうちの1首。
 自分の言いたいこと(暴言)だけ言ったら、こちらの言うことには一切耳を貸さず、Twitterではメッセージをブロックし、メールも受信拒否設定までして、大人としてその態度はどうなのか?と思う。
 自分が他人の心を深く傷つけるような駄作を作ったのは棚に上げて、反省や謝罪をするどころか、営業妨害と言って逆ギレされたことは絶対に忘れない。
 営業ということは、ネプリは売り物という意識は一応あるみたいだけど、売り物で特定の精神疾患の症状を貶して、その患者を責めるような酷い作品を平気で作れる無神経さが私にはわからない。しかも、自分の身近にその症状に長い間苦しんできた私がいたことも忘れて。
 たかが20円かもしれないけど、お金を払ってショッキングなものを読まされて、心を傷つけられて病気が悪化したという事実は揺るがない。私のカルテにもそれは記録されていることだ。そのせいで、医師から社会復帰の許可が出てから実際に社会復帰できるまで大幅に遅れが生じてしまったし、大人になってからは死にたいなんて思ったことはなかったのに「死ね」という幻聴に悩まされて死にたくなって、実行を何度も試みてしまったきっかけは、その作品にあることだけは間違いない。
 彼はおめでたい人で、私が彼に片想いをしているからショックだったのだと思い込んでるみたいだけど、違う。
 この作品を出したのが、私の病気のことを知っている他の人だったとしても、私はショックを受けただろうし、作者に抗議しただろう。
 これが、私のことを知らない人が偶然作ったものだったなら、その作品の人は私個人のことではないと断言できるし我慢できたかもしれないけど、彼の作品に関しては、私を傷つけたくて敢えて作ったのかもしれないと思ったほどだ。
 何故なら、その頃、彼は、私に対して冷たい態度を取り続けていたから。ちゃんとした日本語でのやり取りさえも面倒だったようで、変な漢字一文字だけを送信してきたりすることもよくあった。私は、この人とは、そのうち逢えなくなるのかもしれないと予感していた。
 彼は今、私を完全に無視して彼の世界から私を抹殺している状態だけど、仮に、去年、私が本当にちゃんと死ねていたとしても、彼は自分の記憶から私のことを何の躊躇いもなく消したんだろうな、と思う。彼の誕生日に死ねば年に一度くらいは思い出してもらえるかもしれないという私の考えは甘かったのだ、たぶん。
 今はもう死にたいとは思っていないし、むしろ、生きて、一生短歌を続けてゆこうと思ってるし、彼のことももうこれ以上は何も詠めない!という時がくるまでは歌にしたいし、いつか、歌集を出すときには、彼を想って詠んだ歌は必ず入れるつもりだ。
 いくら、彼が私のことを忘れてしまっても、私は彼のことをずっと忘れない。