本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第8グループ②御殿山みなみさん

 御殿山みなみさんとは、まだ私が短歌を始める前の回文だけやっていた頃からひざみろさんとして仲良くしていただいているので、もう知り合って6年くらいになろうとしています。なので、普段はひざさんと呼んでいます。皆さんもご存じの通り、恐ろしく優秀なのにめちゃめちゃいい人なので、私にとっては一回り年の離れためっちゃ自慢の大阪の(今は名古屋ですが)親戚の子くらいの存在でして、とても可愛いです。なんだかんだで年1回くらいはお会いしています。
 彼が御殿山みなみさんとして編集発行人を務め2018年1月から毎月25日に発行している短歌連作サークル誌『あみもの』には、私も創刊号から毎月お世話になっています。これは大袈裟でもなんでもなくて、もし、『あみもの』がなければ、私は連作に挑戦してみようと思うことはなかったでしょうし、3首~15首まで投稿できるので、ほとんど15首投稿させていただいているのですが、この年の近藤芳美賞の最終選考に残れたのは『あみもの』のお陰だと思っています。もし今後、私が何かの賞を受賞したり、歌集を出したりすることがあれば、必ずインタビューでも後書きでも、御殿山みなみさんのこと、『あみもの』のことは触れたいと思っているくらい、私の人生に大きな影響を与えてくれた人です。いつも本当にありがとうございます。
 だから特別にというわけじゃなくて、御殿山みなみさんは、普通の短歌も素敵なものがたくさんあるんだけれど、回文短歌も作られる人だということもありまして、どうしても絞りきれずに感想を書きたいお歌が3首になりました。


NEETなんていないとよいな」笑みも灯も見えない世問い泣いてんなTEEN/御殿山みなみ 2016年3月20日・お題「ニート

 これは本当に、回文短歌史上ベスト3くらいには入るんではなかろうかと思うくらいの傑作だと思っています。
 私も回文は作るし、たまに回文短歌にも挑戦するけれど、なかなか、ちゃんと意味の通ったものにはならないんです。でも、この回文短歌はちゃんと意味が通っているだけでなく、鋭い社会詠になっているんですよね。
 まず、ニートというお題で回文短歌にしようと思ったのもすごいと思いますし、英語表記だとNEETの逆がTEENになるという発見もすごいです。ちょうど、ニートというのは10代から34歳までですので、条件にもぴったり合っています。
 特に素晴らしいと思ったのが、折り返し地点の「笑みも灯も」の
も●も
の●に「灯」を当てはめたところだと思っています。ここを灯にすることによって、ニートがたくさんいる現代社会の暗さ、若者の絶望感を巧みに表現できているように思うのです。
 一生に一度くらいは、こんな回文短歌を作ってみたいと思うけれどできそうにない、傑作だと思います。


コーヒーをおごるし何も聞かんから膝の汚れたスーツを拭けよ/御殿山みなみ 2017年12月9日・お題「膝」

 これも、お題が「膝」だったから選んだわけではなく、すごく好きだったお歌です。
 御殿山みなみさんは、実景も虚構も器用に詠める人だと思っているんですけど、このお歌の主体=作者なんじゃないかなと思って読みました。というのも、ひざさんの大阪時代の職場があまりにも酷い職場で、それはパワハラじゃないの?!というような状況の辛さを何度もつぶやいていらしたから。これは、職場の先輩である主体が後輩に対してかけてあげてる言葉なのではないかと思いました。
 スーツの膝が汚れる場面というのは、汚れるような場所で転んでしまったということも考えられるんですけど、取引先の会社の人や、お客や、上司などに土下座を強要された、もしくは、許しを請うために自ら土下座をしたのではないかと思われます。主体が何があったのかを聞かないのも、主体自身も似たような辛い経験をしてきているからなのでしょう。仕事でとても辛い思いをしている時に、その辛さをわかってくれて、何も聞かずにコーヒーをおごってくれる主体のさりげない優しさが、どんなにこの人の救いになっただろうかと思わずにはいられません。
 体育会系の人にけっこうありがちですけど、自分たちが顧問や先輩たちに厳しくされていたから同じように後輩たちにも厳しくする怖い先輩っていると思うんですが、この主体は、自分と同じような嫌な思いは後輩にはしてほしくないと思う人なのではないかなと思いました。


二軒目で箸の袋を折りながら語ったほうの夢がほんとう/御殿山みなみ 2019年10月17日・お題「軒」

 このお歌の主体も、作者自身なんじゃないかなと思いました。というのも、ひざさんの趣味のひとつが折り紙だからです。折り紙が好きな人って、紙を見ると折らずにはいられなくて、箸袋でも器用に何かを折っちゃうんですよね。
 このお歌は、初句の「二軒目」というのがとてもいいなと思いました。職場でも友人同士でも飲み会をすると、一軒目にはみんな来るから、それほど仲のいいわけではない人たちもいるし、話の流れで夢を語るようなことになっても、照れがあったり、そんな大事な話をみんなにはしたくないというのがあったりして、本心は語らないものなのかもしれません。主体も、てきとうに話したのでしょう。でも、二軒目には親しい人とだけゆく、もしくは、主体の好きな人や恋人とふたりだけで移動したのかもしれない。そこで、やっと主体は自分らしくなれて、一軒目では折らなかった箸袋を折ってみせながら、ほんとうに叶えたい夢の話をしたのでしょう。その夢を実現するところを見届けてほしいと思えるくらいに大切な人に。初句を「二軒目」にしたことにより、夢がほんとうであるということもだけど、このお歌自体にリアリティーを感じさせることに成功しているのではないかなと思いました。