本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第4グループ⑧袴田朱夏さん

 この人の筆名、カッコいいなあと思う人が何人かいるけれど、袴田朱夏さんもそのひとりです。
 袴田さんもとても作風が幅広くて、家族詠(たぶん奥様への相聞歌も含む)も素敵だし、お住まいになっている京都を詠んだお歌も京都の人みんなに見てほしいし、平和への祈りが込められた社会詠も見事だし、私と同じく回文も作られる方なので回文短歌も詠まれます。


じいちゃんになれずに戦死した人の孫であること 夏はまだ夏/袴田朱夏 2018年9月17日お題「おじいちゃん/おばあちゃん」


 このお歌は、家族詠でもあるけれど、平和への強い祈りが込められているお歌だと思います。
 この主体のおばあ様は、戦争未亡人になってしまったのでしょう。主体のご両親のどちらかを身ごもっている時におじい様が出征されて、残念ながら戦死されてしまい、父親のいない赤ちゃんが生まれてきた。だから、孫である主体に「じいちゃん」と呼ばれたことは一度もないのです。
 おそらく、主体は幼い頃から、おばあ様の戦争体験や、おじい様を亡くした哀しみを聴かされてきたのではないでしょうか。このお歌に詠み込まれているのはおじい様だけど、おばあ様の存在感も強いところが見事だなと思うのです。
 そして、結句。このお歌が詠まれたのは戦後73年の昨年ですが、主体のおじい様が戦死されたことによるご遺族の、特におばあ様の心の傷はまだ癒えていないのがよくわかりますし、おじい様のいない中で子供を守って育てて必死に生き抜きながらも、おばあ様の心の中の時計の針は昭和20年の8月で止まっているんじゃなかろうかと思います。
 日本にも世界中にも戦争で悲惨な体験をした人たちがたくさんいて、今もまだ世界各地で戦争は続いていて、主体にとってはそれは決して他人事ではなく、心を痛めているのでしょう。
 袴田さんは、確かご家族には短歌を作られてることを話されていなかったと記憶しているのですが、このお歌はぜひご家族にも読んでほしいなあと思ったのでした。