本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

うたの日の100人の短歌・第10グループ⑥本屋文華さん

 96人目は本屋文華さんです。


はつなつのあさにはつゆきふるようなふわりやわらかきみのおっぱい/本屋文華 2020年8月1日・お題「おっぱい」


 短歌で漢字の言葉をひらがなにする、それも多用するのって、私にはとても勇気の要ることで滅多にやらないようにしていることのひとつです。というのは、ひらがなが多いことで、作中主体の年齢が非常に幼く見えるということがあり、ほぼ自分の実体験ばかり短歌にしている私は、等身大の43歳の自分の言動や感じたことをひらがな多めに表現してしまうと、なんだか若さに執着しているみたいで自分らしくないと思ってしまうからなんです。例外として、作中主体が小学生くらいから下の年齢の子供の場合は、わざわざその学年で習う漢字かどうかをすべてチェックして、習っていない漢字の言葉だけひらがなに直したりすることはあります。

 このお歌は一目瞭然なのですが、すべてひらがなです。とても潔いです。どうしてすべてひらがなにしたのか、なんだかとても意味がありそうです。
 
 まず、上の句の比喩なんですが、はつなつのあさにはつゆきふるという、日本の気候では考えられないような、夢か現実かわからないような光景が詠まれています。そして、はつなつ、はつゆき、と、初めてであることをすごく強調しているようにも見えます。
 下の句を見ていくと、きみのおっぱいの柔らかさについての描写です。
 おそらく、この主体は、初めてのセックスをしたのではないでしょうか。その時、きみのおっぱいのあまりの柔らかさに感激して、まるで夢のようなありえないくらいの柔らかさ、肌の白さを何かに例えられるとするならば、初夏の朝に初雪降るという光景が浮かんできたのでしょう。
 そして、初めて見て、初めて触れる大好きな恋人のおっぱいについて言葉にするのなら、漢字には柔らかさがない。すべてひらがなにすることで、おっぱいのやわらかさも、夢心地の主体の様子もとてもよく伝わってくるのだと思います。

 すごく勉強になったお歌でした。