本気子の部屋

短歌、回文、日常を綴ります。

第1回 ベストヒットおとの日♪・2 梅雨すみれさん、黒あげは。さん

2 梅雨すみれさん、黒あげは。さん
 
 梅雨すみれさんは、黒あげは。さんの筆名でも投稿されていたので、ふたつの筆名のお歌をご紹介します。
 私が特に心に残ったのは、おばあ様について詠まれたお歌でした。


亡き祖母が熱く観ていたプロレスと時代劇にはヒーローがいた/黒あげは。
  2021年1月4日・お題「プロレス」

 おばあ様はおそらく、大正~昭和初期くらいに生まれた方なのではないかと思います。

 昭和にはテレビは今よりもっと贅沢品で、町内にテレビのある家があると町中の人が集まってみんなでテレビを観ていたような頃もあったそうですが、このお歌に詠まれているのはもう少し先の、一家に1台のテレビがあってお茶の間で家族みんなでテレビを観ていた頃のお歌なのではないでしょうか。プロレスや時代劇を家族揃って観ている中で、特におばあ様が熱狂的にプロレスの選手を応援したり、時代劇のクライマックスに喜んでらっしゃるのが伝わってきます。

 このお歌の結句では「ヒーローがいた」と詠まれていますが、ヒーローがいるということは悪役も必ずいて、プロレスと時代劇に共通するのは勧善懲悪の考え方ではないかと思います。必ず悪を懲らしめて最後には正義が勝つというお決まりの展開なんですが、これを視聴者、特にお年寄りの世代は毎週楽しみに観ていたものです。
 この頃のお年寄りは若い頃は戦争経験者で、戦地で戦ってこられた人もいるでしょうし、大切な人を亡くしてしまったり、飢えに苦しんだり、何の罪もない庶民が理不尽な戦争のために辛く悲しい思いをして耐え忍ばなければなりませんでした。このお歌のおばあ様もそんなおひとりだったと思います。
 そんなお年寄りにとって、勧善懲悪で必ず正義が勝つことになっているストーリーは、自分たちがかつてどこにもぶつけることのできなかった怒りや悲しみなどのネガティブな感情もスッとさせてくれるものだったのではないでしょうか。

 プロレスや時代劇が最も人気のあった頃の明るい家族団欒の光景なんだけれど、おばあ様の秘めていた悲しみを感じ取れるお歌でもあると思いました。



 引き続き、おばあ様について詠まれたお歌です。


巾着に祖母の匂いが遺っててぎゅっと抱かれた ひとりじゃないと/梅雨すみれ
  2022年3月2日・お題「匂」

 この巾着は、おばあ様の愛用品だった形見の巾着なのか、おばあ様が主体に作ってくださった巾着なのか、とにかく、おばあ様の匂いのついた巾着であるということが上の句でわかります。

  おばあ様の匂いとされているのがおばあ様の体臭なのか、おばあ様の愛用されていたお香や香水などの匂いなのかはわからなかったのですが、「匂い」と表現されていることで、主体は生前のおばあ様の匂いをいい匂いだと心地好く感じていたことがわかります。 特に、この匂いが体臭だった場合ですが、お年寄りの体臭はちょっと独特で人によっては苦手なこともあったりしますが、主体はおばあ様の体臭を臭いではなく匂いだと思うくらいに好きだったのでしょう。普通は、「残ってて」としそうなところですが、「遺ってて」としたことでおばあ様がご自身の匂いを自らの意志でお孫さんである主体に遺されたかのように感じられます。

 四句の「ぎゅっと抱かれた」という表現が独特で、物理的には主体が主体よりもずっと小さい巾着を抱いたのであれば自然なのですが、主体はその小さな巾着からおばあ様の匂いがしたことで、たぶん、生前もおばあ様にされたことがあるように、悲しい時にぎゅっと抱かれたような気持ちになったのでしょう。
 
 結句の前の一字空けには、主体がおばあ様の匂いを吸い込む仕草が見えてくるようですし、主体もおばあ様に「ひとりじゃない」と励まされたような気がしたように、もうおばあ様の姿は目には見えなくても、主体のことを側で見守っていてくださっているように感じられます。

 個人的に、私もおばあちゃんっ子だったので、祖母の歌を詠むたびにいつも私の心の中で祖母が生き続けていることを実感するのですが、すみれさんのおばあ様もすみれさんの中で永遠に生き続けていらっしゃるのだろうなと思うお歌でした。


タンポポの綿毛を運ぶ穏やかな口調でキミは引っ越し告げた/黒あげは。
  2021年3月14日・お題「引っ越し」

 主体が子供なのか大人なのか、キミは友達なのか恋人なのか、いろいろな読み方ができそうですが、なんとなく、主体の子供の頃の想い出の情景なのではないかという気がしました。キミはたぶん、仲はいいけど恋までには発展してない友達だったのではないのかなと思います。ひょっとしたら、主体はキミに対してほのかな恋心を抱いていたのかなという気もします。
 というのも、タンポポの綿毛についているのは種で、まだ子供で、おそらく、親が転勤するから引っ越すことになったキミと重ねているように思えたからです。タンポポの綿毛が飛んでいった後でどこに着いてどこで発芽するのかわからないように、主体はキミが引っ越すと聴いても、どこに引っ越すのかまでは尋ねられなかったのではないかとも思いましたし、それを聴いたとしてもお互いに子供同士だから会いにゆくことは難しかったのではないだろうかとも感じられます。

 もし、キミがこの時淋しそうにしてたり泣いたりしたのなら、主体も同じように悲しくなってしまったのだと思いますが、キミの口調が「タンポポの綿毛を運ぶ穏やかな」ものだったからこそ、せつないけれど温かな気持ちになる想い出としてずっと忘れずに大切にしているのではないでしょうか。


 

 はつきむさんに引き続き、梅雨すみれさんにも直接お話が伺えて、おばあ様との想い出を聴かせてくださったり、3首目のお歌は完全な創作であるという裏話も。ありがとうございました。